座椅子 いつかケルンで

移ろいの間

 いつかケルンで

(十七)

 

ケルン行き汽車の客室に入ると、美しいドイツの景色を映

し出す車窓を眺める事もなく、僕はポケットからいくつかの

手紙を取り出した。それは、学生時代に家庭教師をしていた

時の教え子、サクラからの手紙だった。

 

サクラは、よく手紙をくれた。

自分の近況や好きな人の事、おそらくそばにいない分、書

きやすかったのだろう。

しかし、僕が研修を終えた後もドイツに留まる事を決意し

た頃、深刻に悩んでいる手紙を貰った。

親が名門うちは一族の御曹司との婚約を薦め、その方はと

ても素敵な方だけれど、自分は貴族ではない渦巻家のなると

という青年を好きだという事。両親に逆らう事はしたくない

という思いと、自分の気持ちの間でとても悩んでいるという

事だった。

 

国際郵便は時間がかかる。僕は自分の手紙がつく頃には彼

女自身、結論を出しているかもしれないと思いながらも返事

を書いた。

 

『親ではなく自分が幸せになるにはどうすればよいかを考え

て、行動して欲しい。』

 

しばらくして、彼女からまた手紙を貰った。その手紙には

初めて、カカシさんの事が書いてあった。

彼女は、横浜港での僕の取り乱した様子を見ていたはずだ。

カカシさんを見つけるまでは、僕は甲板から彼女に手を振っ

ていたのだから。カカシさんへの電話の取り次ぎを彼女に頼

んだ事もあるし、甲板で突然に叫びだした僕を見て何かを感

じ取り、気を使ていたのだろう。

彼女はカカシさんを兄のように慕っていたし、二人にとっ

ては共通の知り合いなのに、彼女からの手紙には、今まで、

一切カカシさんの事は触れられていなかった。

 

 

『先生と直接御話し出来ないので、私は、はたけカカシ様に

も相談をさせて頂きました。するとてもとても驚いた事に、

先生から貰った手紙と全く同じ事を言われたのです。

 

「サクラさん、自分が幸せでないのに相手の方を幸せに出来

ると思う?

自分の事はどうでもいい、なんて思うことは大切に育てて

いただいたご両親に対して失礼だよ。自分は幸せでないと感

じながら、周囲の人の幸せを願うと言うのはある意味、傲慢

な事なのかもしれない。サクラさんは自分が幸せになるには

どうすればいいかよく考えて、そしてとるべき道を選んで欲

しい。」

 

先生、カカシ様はまるでご自分に言い聞かせるように私に

助言してくださいました。

私がカカシ様に相談させて頂いてからしばらくして、たし

かコハル様の足が良くなるまで、という理由で延期されてい

たカカシ様のご婚約が、コハル様の足は良くなられたのに、

結局正式発表される前に立ち消えたという事を母から聞きま

した。 

 詳しい事は判りません。ただ、私は先生にもカカシ様にも、

ご自分のお幸せを一番に考えて頂きたいと思っています。

 

そして私の方は、両親に正直に気持ちを打ち明けました。

今、ナルトさんとの婚約の準備に入っています。

私に勇気をくださった、先生とカカシ様に感謝しています。

ありがとうございました。』

 

 

サクラの事は、本当に良かったと思う。

僕はその手紙を貰ってから、またサクラに手紙を書いた。

人生で、これ以上はないというくらいの勇気を振り絞り、手

紙を二通書き上げた。一つはサクラへ、そしてもう一通はカ

カシさんへ。

直接送れば、彼、カカシさんの手元に行かないうちに処分

されるかもしれない。

だから、サクラから直接渡して欲しいと願いを書いて、僕

はサクラへの手紙の中にカカシさんへの手紙を入れて日本へ

送った。

 

 

 

そして僕は休暇を取って今、ケルン市へ向かっている。僕

は僕の幸せを追求する事を怠っていた。

僕はそれを追及する。彼を困惑させる事になっても僕は気

持ちを伝える。

 

『僕の幸せはあなたとともに歩む事。915日、約束の地ケ

ルン大聖堂の展望台で、夕陽の出ている間中僕は君を待つ。

今も変わらず愛している。どうか来て欲しい。』

 

二ヶ月前、手紙は確かにカカシ様へ直接渡したと、サクラ

から手紙が届いた。僕はその手紙を汽車にゆられている間、

見つめ続けた。

 

大聖堂に着き、その荘厳さに圧倒される。見る人を惹きつ

け、またある種の畏怖を感じさせる、人類の英知を集めた建

造物。そのケルン大聖堂のなかに入り、僕は一歩一歩展望台

へと登っていく。

彼が現れない事は判っている。

あれから四年の月日が流れているのだ。四年は長く、そし

てドイツは遠い。

ただ、僕は行動したかった、僕自身の幸せのために。僕は

もう一度だけ僕自身にチャンスを与えてあげたかった。今日

をきっかけに、僕は前を向いて歩いていこう。半身を切り裂

かれるような、心の痛みと付き合いながら。

 

大聖堂の展望台から見えるケルン市内の町並みは本当にす

ばらしい。

夕陽が差し込み、神々しさを感じるほどだ。彼がこの景色

に溶け込めば、どれ程に美しい絵になるだろうか。

色素の薄い、どこか儚げに見える優しい微笑を浮かべて・・・。

 

 

 えっ・・・・・?

 

僕は、僕は夢を見ているのだろうか・・・。すらりと背が

高く、東洋人とは思えぬ白い肌を持つ人がこちらを見ている。

以前と変わらぬ美しい、儚げな優しい微笑を浮かべて僕を見

ている。

「カカシさん・・・。」

僕は何千回思い浮かべたかも判らないその名前を口にする。

 

「テンゾウ・・・。テンゾウ・・・。テンゾウ!!」

彼が駆けてくる。僕の名前を口にしながら、しなやかに羽

が生えて飛んでいるように、彼が僕の側に駆け寄る。僕は全

身で彼を受け止めた。

 

「カカシさん・・・。」

「テンゾウ、俺来た・・・。俺来たよ・・・。」

「はい・・・はい・・・カカシさん・・・。」

彼を抱きしめ、柔らかい彼の髪を撫でる。

間違いない、夢じゃない、彼がここにいる。ドイツに、ケ

ルン大聖堂に、僕の腕の中に。

僕は手紙を書くだけで、大変な勇気が要った。侯爵家当主

の立場、コハル叔母様、ありとあらゆるしきたりや慣習、モ

ラルといった中に暮らすカカシさんが日本を旅立ちこの地に

立つまで、どれ程の苦難と葛藤があっただろうか。

それでも・・・それでも・・・来てくれた・・・。

「俺来たよ・・・テンゾウ・・・。」

 

夕陽が彼の髪に、肌に赤い影を落とす。僕は自分が作った

言い伝えを実現させる。                         

「カカシさん、愛してる。これからもずっとずっと。」

「俺も・・・。俺も愛してる。テンゾウ・・・。」

すがるように僕にしがみつく彼が愛しい。

 

僕達は抱き合ったまま、愛を誓う。

 

二人きりで、変わらぬ永遠の愛を誓う。

 

出会ってから今まで、離れていた四年の月日ごと、彼のす

べてを愛してる。

 

もう、一生離さない。

 

                        終わり