紡ぎゆく時間2
二人が出会った場所からさほど離れていない寿屋に
着き、夕食時にはまだ早く店は空いており、奥の座敷
に通された。寄せ鍋を注文し、従業員が出ていくと一
瞬無言の時間が出来る。
水を飲むためカカシが口布を下ろす。白い肌に映え
る赤い唇が現れて、テンゾウは一カ月前の記憶が鮮明
となる。まずは謝らなければと沈黙を破ったのはテン
ゾウだった。
「あの・・・、あの、この前は本当にすいません」
「この前って?」
「ですから、さっき先輩が言った、一分の時間の・・・」
語尾はもごもごとしてしまう。無理やりキスしたな
んて、言葉には出せないものだ。
「お前、それよりあれ謝りなさいよ。その日の夜の送
別会。最初から酔っ払ってるってどういう事だよ。結
局離れた席に座って、一度も俺と目も合わせないで」
テンゾウは記憶を辿る。
あの日、カカシにはもともと告白するつもりだった
が、キスしたのは本当にフライングだった。あまりの
自分のとった行動の大胆さに、同じ日の夜にあった送
別会にとても素面で参加きる余裕がなく、家から酒を
かき込み、結局店内ではカカシと話さなかった。
「情けないですが、昼の事が恥ずかしくて酒の勢いを
借りて会に行きました。でも店では、先輩のそばには
たくさん他の先輩方が居られて、僕だけじゃなく、後
輩達は皆、そばに行けませんでしたよ」
「でも、お前はその日の昼間に俺に告白したんだよ。
俺にしたら、え?あんなことしておいて、数時間後に
は無視?とか思うじゃない。からかわれたのかなって
考えたりね」
「ち、違います!からかうなんて、そんなことあるわ
けないです。」
「まあねー、からかって野郎にチューは出来ないよね」
カカシがくすくすと笑いながら言う。
「せ、先輩・・・」
テンゾウの頬が赤く染まったところで、従業員が鍋
の準備をしに入ってくる。しばしその動作を見て過ご
し、セットを終えた従業員が部屋を出て再び二人にな
る。
テンゾウはそれが後輩の務めというように、率先し
て、菜箸で野菜を鍋に入れ始めた。カカシは行儀悪く
テーブルに頬杖をついて、テンゾウを見つめている。
カカシに見つめられる、その空気のいたたまれなさ
に、テンゾウは何か話そうと言葉を紡ぐ。
「さっき先輩に会う前、僕も鍋にしようと思ってまし
た」
「ふーん・・・家で?」
「ええ、でも・・・」
「でも何?」
「いや、別に」
「俺と一緒に食べたいなあと思ってたとか?」
さっきからからかう様なカカシの言葉に、テンゾウ
は少し言葉を強く言い返す。
「思ってました。僕は、本当に先輩が好きなので」
カカシにすれば、誰かに告白されるなど日常の出来
事なのかもしれない。しかしテンゾウにすれば、悩み
に悩んでそれでもこの気持ちは変わりようがないと決
心しての告白だったのだ。
テンゾウの言った内容や強い口調には触れず、カカ
シは別の話をした。
「この一カ月、どうしてたの?」
「忙しかったですよ。先輩が抜けた穴は大きいです」
「そう・・・。俺は里内勤務が多くてね。単独任務は
もちろんしてたけど、予定の生徒には例のうちは一族
もいるからね。情報集めたり・・・。以前より体動か
す機会が減った分、考える時間が割と多くて・・・」
カカシは一旦言葉を切り、一呼吸おいてまた話す。
「考えてたよ、お前の事。どうしてるのかなあって、
逢いたいって思ってた」
テンゾウの箸を持つ手が止まった。
「え?ほんとに・・・・・?」
「結構、自分勝手だよね、お前さ。送別会もそうだっ
たけど、告白だけされて、その後無視されてる形の俺
の気持ちは考えなかったの?」
「それは、あの、不愉快な気分だろうなと思ってたの
で、むしろ逢わない方がいいんじゃないかと。僕はも
のすごく逢いたかったですけど」
「不愉快なら一分も我慢してない」
カカシの言葉を聞いて、テンゾウは気難しい顔にな
る。
「先輩、さっきも言いましたが、僕は本気なのでそん
な事を言われると期待してしまう。だから、やめてく
ださい。きっぱり、迷惑と言ってもらった方がいいで
す」
「いや、迷惑でも不愉快でもなかったし、俺はお前と
逢いたかった」
カカシはもう一度繰り返した。
テンゾウが菜箸を置く。カカシの前に行き、その顔
を真っ直ぐ見つめる。
「じゃあ今、もう一度キスしたいと言ったら、OKし
てくれますか?」
「いいよ」
「先輩。僕は今だけのキスのOKを聞いてるわけじゃ
ありません」
「そんな事判ってるよ」
「ほんとに判ってますか?」
「あのねえ・・・俺は幼少の頃から天才って、言われ
てたんだよ。お前が何を言ってるのかちゃんと判って
るよ」
「先輩は・・・いいんですか?僕と付き合っても・・・。
からかっているんなら、本当にやめてください・・・」
「いいって言ってるんだよ」
テンゾウはカカシを真っ直ぐ見つめたままその頬に
手を添える。今、カカシが言った事が現実なら、早く
その事実を確かめたいと思う。もしも夢なら、せめて
キスをしてから目覚めたい。
薄く綺麗な形を作るカカシの赤い唇。普段は隠され
ているその唇に、テンゾウはゆっくりと自分の唇を近
づける。自分の動悸が周囲に聞こえそうだ。もう少し
で唇同士が触れそうだというその時、襖の外から声が
かかった。
「追加のお出汁、お持ちしましたあ」
威勢の良い声とほぼ同時に襖が開けられる。忍びの
素早さで、テンゾウはすぐカカシのそばから離れては
いたが、頬の赤さは止めようがない。
「ありゃ、お客さん出汁沸騰してるじゃないですか。
早く具材入れてお召しにならないと」
そう言って、追加様の出汁を持ってきた従業員は、
ざるに盛られていた野菜を次々鍋に入れ始める。
「あ、あの自分でやります。どうもすいません」
テンゾウが慌てて従業員から菜箸を受け取った。
「はいお願いしますね。よろしければ後で雑炊も出来
ますよ」
「ですね。また頼むかもしれません」
テンゾウが返事する。
「はい、よろしく。他に何かご注文は?」
「いえ、今のところ」
ひとしきり言うべき事は言ったという感じで、従業
員はようやく席を立った。もう出ていくかと思ったが
襖の前で立ち止まり二人を振り返る。
「じゃ、ごゆっくり」
にっこりと会釈して出ていった。向こうにすればた
だの挨拶なのだろうが、何だかいたたまれない空気に
支配される。座敷内は再び沈黙となり、テンゾウはそ
の空気を打破するようにせっせと残りの具材を入れ始
めた。
そのテンゾウの手の動きを見ながら、カカシが話す。
「ごゆっくり、だってさ」
たった今、従業員に言われた言葉を繰り返す。
「ええ」
テンゾウは、なんと答えていいものか判らず、とり
あえず返事をする。
カカシはテンゾウの手の動きを見つめたまま、静か
に話す。
「それで、いいんじゃない。ゆっくり変わって行け
ば・・・。俺達は今まで何年も先輩、後輩だったんだ
し・・・」
『ゆっくり変わって行けば・・・』
テンゾウは頭の中でカカシの言葉を反復する。先輩、
後輩から恋人への移行。
テンゾウは取り皿に火が通った鍋の材料を入れなが
ら、大きくため息をついた。
「おい、なんだよ、ため息って・・・」
カカシが咎める。
「いえ、何だか奇跡みたいで・・・。なんと表現して
いいのか・・・。まさか、先輩に振り向いてもらえる
とは思わなかったので・・・」
「まあ、さっき出会ったのも、偶然休暇が重なって、
偶然同じ時間に同じ所にいたってのも、ある意味奇跡
だしな」
テンゾウが目を輝かせた。
「これを運命の赤い糸で結ばれてるって言うんでしょ
うか?」
「・・・お前良くそんな若い女の子みたいなセリフ、
恥ずかしげもなく言えるなあ」
「この前先輩に告白した勇気に比べれば、大概の事は
たいした事じゃないですよ」
テンゾウは具を入れた皿をカカシに渡しながら返事
する。
カカシは小さく苦笑した。
「勇気が必要だったと言う割に、することはかなり大
胆だったけど」
「あの時は・・・そりゃもう最初で最後と思ってまし
たから」
テンゾウの言葉を聞きカカシがまた笑った。それか
らテンゾウから受け取った皿にのったものを食べ始め
る。
食べているカカシを見ながら、キスし損ねたとテン
ゾウは思う。でもそれでも、これは夢ではないようだ。
ならばカカシが言うように、ゆっくり時を紡げばいい。
時間を重ねて、思い出を重ねて恋人同士へと移りゆく。
焦る必要はない。始まったばかりで、そして永遠に
続く恋だから。
終わり