赦しの船、風のオール

静謐の庭荘

 

 

赦しの船、風のオール

 

 

 

第1章

 

 大和テンゾウの、入学以来保ってきた学校モテ男ナ

ンバーワンの地位は、高3の春に突然終わった。代わ

ってナンバーワンに躍り出たのは、その春に着任した

ばかりの新人教師、畑カカシ。

 

 情報の速さは世界最速と思える女子達によると、少

し毛先が跳ねたような髪はワックスなどつけておら

ず、天然のくせ毛。長めなのは、本人いわく頭の形に

自信がないから。細身だけど、実はシックスパックに

腹筋は割れている。

 

そんな情報は知らなくても、見た目にまず目に付く

肌の白さ。それと対比する様に薄桃色に色づいた唇は、

まるで口紅を塗ったよう。

整ったいわゆるイケメンの顔立ちなのだが、精悍と

いうより穏やかな優しい雰囲気を纏っている。

 

 この、現代的なモテ要素ををすべて備えた新人教師

を始業式で見た女子達は、すでにざわざわと落ち着か

なくなっていた。ましてや自分たちの副担任になると

知ったテンゾウのクラスの女子達は、皆それぞれやっ

た、副担の枠が空いていて良かったとガッツポーズま

でしている。

 

 テンゾウのクラスは、より難易度の高い特進クラス

で学年で1クラスのみ。

当然3年間クラス替えなく、担任も一緒だったが、

副担任は女性教師で高2の2月に産休に入ったばか

りだった。その際は女性教師との別れを惜しみ、元気

な赤ちゃんを産んでねという寄せ書きを渡す時は涙

ぐんでいたクラス女子達の変わり身の早さを、男子達

は冷ややかに見ていた。

 

 しかし畑カカシは、普通なら反感を買ってしまいそ

うな男子生徒の心もすぐに掴み、けして悪い印象を与

えることはなかった。

 

 元々進学校で素行の悪い生徒はいない分、頭はいい

が若干ひねくれた生徒もいて、時に教師を困らせるよ

うな質問をする者もいる。

 

畑カカシの教科は英語だったが、帰国子女も多い

私学の進学校の生徒達も納得のnatureEnglish

大学時代に海外留学の経験があるというのは、女子

の情報網。

 

 知識は完ぺきなのに、どこか天然で例えばクラス名

簿を間違って持ってきたりする。

出席を取りかけて、それ隣のクラスです、と誰かが

指摘すると、「ごめーんね」と、微かに小首を傾げて

人を惹き付ける笑顔で素直に謝る。女子からは一斉に

可愛いという声が上がり、男子生徒達ですら、しょう

がないなと、その天然さに和やかな雰囲気になる。

 

 頭も顔もよくて少し天然なお兄さんは、瞬く間に生

徒の人気を攫った。

 

 

 

 

 5月、中間テスト後の授業はどの教科もテスト返却。

中でも特進クラスのテンゾウ達にとって、3年の試験

はどれもが真剣勝負。

 

 英語も答案が返却されたが、ある生徒から採点が間

違っているという声が上がった。

 カカシはいつものように素直に非を認めて生徒に

謝り、他の皆ももう一度見直して、間違いが見つかっ

たら授業の終わりに答案用紙を提出してくださいと

告げた。

 

 

 テンゾウももちろん確認したが、特に正解なのに×

をつけられているということはない。

 しかし思ったよりも点数が低く若干落ち込んでい

た。英語は得意な教科なのだ。これで点数稼がないと

いけないのに、とがっくりする。

 

 授業終わりに友人のサイが答案を再提出していた

ことに、テンゾウは気づく。

 

「何、お前も何か間違いあったの?」

 

 休み時間となりテンゾウのそばへ来たサイに尋ね

る。

 

「うん、採点じゃなくて合計点がね、合ってなかった。

2点損するとこだったよ」

 

「合計点?」

 

「お前もちゃんと見た方がいいぜ。あの先生、英語は

得意でも数学は駄目なのかもな」

 

「数学って、ただの足し算なのに教師が間違えるか…」

 

 しかし気になり、テンゾウも自分の解答用紙の設問

ごとの合計点を足していく。すると3点の違いが見つ

かった。

 

「僕も違う!」

 

「言いに行けよ」

 

「もちろん。行ってくる」

 

 カカシはもう教室にはいなかった。職員室まで行か

なければならないが、88点と91点は受験生にとっ

て大きく違う。

 

 職員室で自分の机にいるカカシを見つける。右手は

顎をのせて片肘を付き、左手で自分の髪を弄っている。

まるで授業中にやる気のない生徒のようで、テンゾウは

少し意外に思う。

 

 まあ、自分の席だからリラックスしているんだろう。

 

「カカシ先生」

 

 話しかけるとさっと態度を変えていつもの笑顔を

見せた。

 

「うん、何?」

 

「僕の分も、合計点が違っていると思います」

 

「あ、そう?ごめんね」

 

 カカシはテンゾウの解答用紙をあっさり受け取る。

 

 最初80点台かと焦ったこともあり、テンゾウはそ

の軽さに少し腹が立った。

 

「あのさ、カカシ先生。僕達受験生には1点2点でも

貴重なんだから、ちょっと気を付けてくださいよ。

間違いがクラスで数人もいるのは多すぎない?」

 

「ばかばかしい…」

 

「え?」

 

 テンゾウは一瞬耳を疑う。あのいつもアイドルのよ

うな笑顔で愛想のいいカカシ先生が今なんて?

 

「今、ばかばかしいって言った?先生」

 

「ん?言ってないよ」

 

 顔をテンゾウに向けたカカシはいつもの穏やかな

笑みを浮かべている。

 

「言っただろう?ばかばかしいって」

 

「ああ、違うよ。計算間違ったから、自分のことをバ

カだなって言ったんだよ」

 

 カカシはテンゾウに向けていた身体の向きを、椅子

ごと動かし机正面に向ける。

 

「じゃ、ちゃんと点数直しておくから」

 

 一方的に話は切られた。

 

「…お願いします…」

 

 若干の腑に落ちない気分を引きずりながら、テンゾ

ウは職員室を出た。

 

 ドアのところでもう一度カカシの方を振り返ると、

再提出した答案に目もくれず、再び片肘をついてやる

気なさそうな態度をしている。

 

 なんだ、あの先生…。

 

 それまでカカシの存在は、勝手にモテ男対決のライ

バルとか同級生に揶揄されることもあったが、男のテ

ンゾウにとって、教科ごとの先生という以外に特別な

意識は持っていなかった。

 

第一、高2までモテ男ナンバーワンだったと言わ

れても、別に全生徒にアンケートとったわけでもなく、

多少周囲の女子達に人気があったのを、同級生達が面

白半分もあって言っているだけと、そのあたりは冷静

に捉えている。

 

 その点、カカシの人気は本物だ。

 

 爽やかで、穏やかな笑顔が素敵なイケメン先生。

あれは…。

 

 テンゾウはテストの誤採点があってから、むしろカ

カシの事が気になりだした。

 

 

 

 

 6月、遠足があった。修学旅行は2年の11月に既

に行っている。

学校全体ではまだ秋に体育祭と文化祭を控えては

いるが、3年単独ではこれが遊び的な要素のある行事

としては最後。

 

 朝、クラスごとにバスに乗り込む。入口のところで

バスガイドさんと担任の先生が出迎えてくれている。

しかしカカシの姿は見当たらない。他のクラスは担任

と副担任二人並んでいるのに。

 

 

「えー、副担任のカカシ先生は、風邪をひかれたとい

うことで今日はお休みです」

 

 えーっ!! いやーっ!!

 

 担任のイルカ先生が全員乗り込んだバスの先頭に

立ち皆に告げると、一斉に女子達から悲鳴に近い声が

上がった。

 

 

 

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