紙風船
第1話
大勢の人ごみに紛れて、新入生を我がサークル
に呼び込もうとする喧騒の中を、テンゾウは特に
あてもなく歩いていた。
大いなる無駄にも見えてしまう大学生達のエ
ネルギーは、普段張り詰めた静寂さの中にいるテ
ンゾウにとって、随分耳障りなものではないかと
勝手に予測していたが、意外とその喧騒を心地よ
く感じている自分に半ば驚きながら、歩みを続け
る。
バタバタと何かが近付く音がしたと思う間に、
とんと後ろから誰かが肩にぶつかる。
「あ、ごめん。大丈夫?」
テンゾウにぶつかった人物が立ち止まり、振り
かえる。
「あ、別に・・・」
実際、軽く当たっただけで何ともなかった。
「そう、よかった。ごめんね」
その人は、軽やかな笑顔を見せる。
とっさにテンゾウが思ったのは自分が今一人で
良かったという事。組の者が一緒の時なら、この
笑顔の人は今頃殴られているだろう。
「おーい、カカシ!遅い!お前が来ないと女子が、
新入生の女子たちが来てくれないだろう!」
テンゾウ達が立っている斜め前の方から声がし
た。
「ごめん、バイトで遅れて・・・」
カカシと呼ばれたその人が声の方に向かって言
う。そこには、映画研究会というサークルの旗を
持つ集団が立っていた。
カカシがテンゾウを覗き込むようにして話しか
けて来た。
「ね、君、新入生?」
「そうです」
「良かったら映研入らない?」
「え?でも・・・」
「何か決めてるの?」
「いや、特には・・・」
「じゃ、話だけでも聞いて行ってよ。ね、俺遅れ
たから誰か勧誘しないと。助けると思って」
そう言いながら、カカシと呼ばれた人はテンゾ
ウの腕をとった。
ね、と声を発する時カカシは笑顔になる。男に
しては随分色白で、テンゾウは某アイドル事務所
のタレントみたいだなと思う。いや、アイドルと
いうよりモデル風かな・・・。
半ば強引に腕を取られても不愉快な気になら
ず、それはこの芸能人並みの爽やかな笑顔とルッ
クスのせいだろうかと考えるうちに、映研メンバ
ーの前に着く。
「遅れたけど、一人勧誘したぜ。ノルマ達成」
カカシはテンゾウを皆の前に立たせ、得意げに
話した。テンゾウはびっくりしてカカシの方を見
る。
「え、ちょ・・まだ入るとは言ってな・・・」
テンゾウの言葉が終らぬうちに、長髪の男がカ
カシに注意する。
「何言ってるんだ!お前のノルマは女子だ、女子。
さっさと女子を勧誘して来い」
「ちょっと、ゲンマ先輩。せっかく入ってくれた
彼に挨拶が先でしょう!」
ショートヘアの飾らないタイプの女性がテンゾ
ウに向き合った。
「よろしく。私2年のみたらしあんこよ。えっと
…君名前は?」
「あ、テンゾウです。あの、僕まだ入るとは言っ
てな・・・」
「テンゾウか、よろしくな!俺はガイだ!3年!」
再び、まだテンゾウが言葉を言いきらないうち
に背中をボンと叩かれる。
アイドルかモデルか、というようなカカシとい
う人物とは対極にある風体の男が満面の笑みを浮
かべて立っていた。
「はあ…よろしくお願いします」
その豪快な勢いについ挨拶を返してしまう。
「入ってくれるの?やった」
カカシがまっすぐテンゾウを見つめて、爽やか
な芸能人のような笑顔を見せた。
無意識のような意識で、ああ、綺麗な人だと思
う。春の日差しが色素の薄い髪に注いで、きらき
らと輝く光のオーラが取り巻いているような錯覚
に陥る。
一瞬見惚れている自分に気づき、テンゾウは慌
てて目を逸らす。
冷たい氷の膜が張っている様な環境から、華や
かな喧騒の渦に迷い込み意識が鋭敏になりすぎて
いるのかと思う。どうかしている。男に見惚れる
なんて。
少し目を逸らしたテンゾウの視線を追いかける
様に、カカシがまた覗き込む。
「俺、はたけカカシ、3年。よろしく」
その時柔らかな風が通り抜け、大学構内にある
桜の花びらがはらはらと舞いおりた。一枚の花び
らがカカシの頭に乗り、テンゾウが手を伸ばしそ
れを取り払う。
「ありがとう」
カカシの笑顔を、テンゾウはもう目を逸らすこ
とすら出来ず、見つめた。