赦しの船、風のオール

静謐の庭荘

 

 

赦しの船、風のオール

 

 

 

8

 

 

 期末試験の時、少なくともテンゾウのクラスでは、

カカシに誤採点は一つもなかった。

 

少しは自分の言葉を聞いてくれたのだろうか。

 

天使の仮面を被った悪魔ということを知ってから

関わらないでおこうと思ったのに、軽い熱中症で倒れ

た時には心配してくれた。

偶然のように見せかけて保健室に来たが、実は気に

かけてくれていたのを、シズネ先生やサイの言葉から

判ってしまった。

 

 複雑な人だなと思う。

 

 他の皆にはいい人の仮面を被り、そうじゃない側面

を知ってる自分には、心配している事を隠したりする。

 

 ほんとにどういう人なんだろう…。

 

 テンゾウのクラスは特進コースのため期末試験後

も補習授業があったが、英語の授業中、カカシが右手

で長めの髪をかき上げる仕草につい目を奪われる。

 

 左の額に傷があることも知っているが、そうであっ

ても綺麗な顔だと思う。

 

 そしてあの口元。

 

 授業中にまたもやキスを思い出して、わけもわから

ず叫びそうになる。かろうじて理性で押さえてはいる

が。

 

 いっそ早くカカシの姿を見ないで済むように夏休

みになれと思っていた。

しかし実際1学期最後の授業となった時、女子達か

らカカシ先生に会えないなんて寂しいという声が出

て、テンゾウの心に同じ感情が湧く。

 

その気持ちに気づき、慌てて否定する。

 

何で自分が男の教師に会えなくて寂しいなんて、そ

んな感情おかしい。

 

 

 

 

夏休みに入ってしまえば、受験生であるテンゾウは

夏期講習に追われる毎日を過ごしていた。

 

「あーなんで夜も暑いんだよ…」

 

 塾の最終コマまで参加し、終電の2本前という遅い

時間の電車に乗っていた。

自宅の最寄駅に着き、冷房の効いた電車から夜でも

むわっとした夏特有の熱気に覆われている外気に触

れる。

 

郊外の住宅地で住んでいる人口は多い。遅い時間に

も関わらず改札へ向かう階段を下りている人は割と

いた。

ふとテンゾウはその人々の間に知った後姿を見つ

けた。しかも同時に二人。

 

 カカシ先生と不知火先生。

 

 普通に歩いているだけでも暑いのに、不知火はカカ

シの肩に手を回そうとして振り払われる。

 

『俺モテるんだよね、女にも男にも』

 

 カカシの言葉が思い出される。

 

 マジで男にもモテるのか…。

 

 どう見ても不知火がカカシにちょっかいをかけて

いる様に見える。

 

 無意識で改札を出た二人をテンゾウは追う。

 

 不知火がカカシにずっと話しかけている。声は聞こ

えない。

 

 不知火は何度も手をカカシの肩に回し、あるいは腰

に回し、そのたびに振り払われている。

 

 駅前の広い道から人通りの少ない道に入ったとこ

ろで、カカシは立ち止まった。

 テンゾウは電柱の陰に隠れる。

 

「不知火先生、もうほんとに今日は家に入れるつもり

ないですから」

 

 大きめの声でカカシが言う。

 

「なんで急につれなくなった?まさか他に相手が出

来たのか?」

 

 不知火の声もやや大きくなり、テンゾウの耳に届く。

 

 テンゾウは呆然とした。

 

 これって何だ。まるで恋人同士の喧嘩のような…。

二人はまさか、付き合っている?

 

 不知火がカカシの腕を掴んで、もう片方の手で強引

に肩を抱き寄せようとした。

 

「ちょっと、ほんとにやめ…」

 

 カカシは振り払おうとする。

 

 テンゾウはいつかのチンピラに絡まれてるカカシ

を見た時よりは冷静だった。

 冷静という言葉は正確には違うかもしれない。

心がスーッと冷え切っていく感覚。

 

 少なくともカカシは嫌がっているようだったので

助けようとは思ったが、それはカカシのためというよ

り、不知火がカカシの腕を掴んでいることが、不知火

のカカシに発する言葉が、とても不愉快に感じたから。

 

 ただ一刻も早く二人を離したい。

 

 

「不知火先生、カカシ先生。こんばんわ」

 

 テンゾウは突然大きな声を出して二人に挨拶をす

る。

 

 二人はその声に一様にびくっと驚き、揃ってテンゾ

ウの方を見た。

不知火は掴んでいたカカシの腕を離す。

 

「お前は…」

 

 不知火は英語だが、テンゾウのクラスは受け持って

いない。しかし先生という呼びかけで生徒ということ

はすぐに分かったようだった。

 表情に驚きと戸惑いが現れている。

 

「大和、随分遅い時間なのに、何をしている」

 

 カカシの方は、それほど慌てた様子もなく、ごく通

常のトーンでテンゾウに問う。

 

「塾の帰りです」

「あぁ、そうか」

 カカシは凍り付いたように立ちすくむ不知火とは

真逆な陽気な声を出し、そのままテンゾウの方に歩み

寄る。

「大変だな、受験生は。それにしてもこんなに遅い時

間は危ないな。送っていこうか?お前の家は俺と同じ

方向だし」

「え?でも」

 テンゾウはわざとらしく不知火の方を振り返る。

「俺達は英語科の先生達で親睦会があってね。駅は一

緒なんだけど、不知火先生の家の方角は反対だから」

「そうなんですか」

 テンゾウは嘘とわかっているカカシの言葉に頷い

てみせた。

「じゃ、今日はお疲れ様でした」

 

カカシが作り笑顔で不知火に挨拶する。

 

「あ、あぁ…」

「おやすみなさい、不知火先生」

 テンゾウも挨拶をしてカカシと一緒に歩きだす。

 不知火が見ているのか、いないのか、分からないま

ま二人は振り返らず歩いて行く。

 


 話しても声は不知火に聞こえないだろう距離とな

り、テンゾウはカカシに話しかけた。

「カカシ先生、僕の家を知っているんですか?」

「知るわけない」

「はあ…やっぱり」

「そんな事分かってて俺の嘘に付き合ったんだろ」

「まあ、そうですけど」

「お前ってほんと、いつも俺が見られたくない場面に

いるよな」

「やっぱり見られたくない場面だったんですね」

 

 テンゾウは不知火との関係を聞き出したかった。曖

昧にしたくない、はっきりとストレートな言葉を使う。

 

「カカシ先生は不知火先生と付き合っているんです

か?」

「質問タイムは終わり。着いたから」

 

 カカシがワンルームマンションの前で立ち止まっ

た。

 

「俺んちここなの」

 

 テンゾウはカカシが言った言葉を思い出す。

 

『今日はもう家に入れる気はないですから』

 

 不知火はカカシの部屋に入ったことがあるのだ、き

っと。

 

 そう考えると言いようのない重苦しい気持ちにな

った。

 

「お前んちは?」

 

「…僕の家はここから徒歩だと20分以上かかりま

す」

 

「え…そうなのか」

 

 カカシは前の道を見つめながら表情を曇らせた。

 

 そのカカシのワンルームマンションの1階にコン

ビニがあったが、そこから先は住宅街が続いている。

路地を照らす街灯以外の明かりはなく、駅から降りた

人達もそれぞれ違う方向に別れ、そこではもう人通り

もほぼなかった。

 

「ほんとは駅の駐輪場に自転車停めてて、いつもそれ

で帰っているんです。でも今日はカカシ先生たちを見

たので」

 

「そうか…今から駅に戻るか?それにしても10分

はかかるよな…。ほんとにこの時間の徒歩での一人は

まずいな」

 

「心配してくれるんですか?」

 

「お前に何かあって俺の教師のキャリアに傷がつか

ないか心配なんだよ。不知火先生にお前を送るって言

っちゃってるしな」

 

 そんな風に表現しても、実は心配してくれているん

だろうとテンゾウは思う。

 熱中症の時と一緒。

 

 

「この時間に一人歩き危ないって言うんなら、泊めて

ください、先生の家に」

 

 テンゾウは、カカシの目をまっすぐ見つめて言い切

る。

 

 

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