静謐の庭荘

 

 

赦しの船、風のオール

 

 

 

7

 

 

「カカシ先生…」

 

「ほら、これ飲め」

 

カカシはもう一度同じこと言い、手にしたスポーツ

ドリンクのペットボトルを差し出した。

 

「あの…」

 

「起きられるか?」

 

「あ、はい」

 

テンゾウは起き上がってとりあえずカカシが差し

出すドリンクを受け取った。

きゅっと蓋を開けて飲みながらカカシの方をちら

と見る。

もしかして心配してくれているとか…?いや、から

かいに来ただけかも…。

 

「熱中症だって?」

「はい…多分」

「気を付けろよ。熱中症って深刻な症状になる時があ

るから。今は…大丈夫そうだな。とにかくそれは全部

飲め」

 え

やっぱり心配してくれてる?あのカカシ先生が?

「あの、カカシ先生はどうしてここに?」

 テンゾウはドリンクを飲みながら聞く。

「あぁ、暑いから涼みにここにきたら、シズネ先生が

スポーツドリンク持って帰って来たところで、お前が

寝てるって話し聞いたから」

 

「はあ…」

 

 涼みにってなんだ?テンゾウは多少カカシの言葉

にひっかかりを感じながらも今は黙っていた。

 

「シズネ先生が担任のイルカ先生に知らせなきゃっ

て言うんで、俺がお前に飲み物を渡しておくからって、

職員室に行ってもらった」

 

「…あの、それなら普通はカカシ先生がイルカ先生に

知らせに行くんじゃないですか?」

 

「どうせ俺はここで休むつもりだったもん」

 

 そういうとカカシはふっと隣のベッドに行きその

まま横になる。

 

「…先生も体調悪いんですか?」

 

 本当にベッドに横になったカカシにテンゾウは聞

く。

 

「いや、涼みに来ただけ。職員室もクーラーきいてる

けど、横にはなれないだろ。今は授業のない空き時間

なんだ」

 

「保健室って涼む所じゃないでしょう。よくシズネ先

生が許してくれますね」

 

「お前、体調悪い時まで優等生発言するよな。シズネ

先生はそんな嫌味言わないで、いつもどうぞって言っ

てくれるぞ」

 

 養護教諭のシズネ先生は確か独身だったなとテン

ゾウは思う。年は多分30代くらい。

 

 ベッドに横になって右腕で片肘をついてそこに頭

を預け、こちらを見て、いつもの爽やかな微笑を見せ

るカカシを見る。

 

 シズネ先生も騙されてるよ…。そりゃあの顔でちょ

っと横になりたいんです、とか言われたら断れないか

もしれないけど。

 

 

 

「大和君、どう?」

 

 シズネ先生が保健室に戻り、テンゾウ達のいるベッ

ドが3台並ぶエリアに入って来る。

 

「あ、もうだいぶいいです。身体も熱くなくなりまし

た」

 

「イルカ先生が親御さんに知らせた方がいいか気に

されていたけど」

 

「いえいえ、大丈夫です。どうせ共働きで母もこの時

間仕事ですし」

 

「そう?」

 

「はい、軽い方の熱中症だったみたいで、本当にもう

大丈夫です」

 

「じゃ、よかった」

 

 シズネ先生は今度はカカシのいるベッドに向かう。

 

「カカシ先生はいかがですか?」

 

「はい、大丈夫ですが、もう少し横になってていいで

すか?」

 

「もちろん。先生は今年来たばかりだから色々気を使

われたり、授業に追われて休息がとれないことも多い

でしょう。無理せず疲れた時は休んでくださいね」

 

 シズネの優しい言葉を聞きながら、テンゾウはやっ

ぱり騙されていると思う。

 先生、その男は涼みに来てるだけですよ。騙されち

ゃいけません、と言いたいがそこは黙っていた。

 

「じゃ二人とももう少しゆっくり休んで」

 シズネ先生はそう言ってカーテンの向こう側に消

えた。

 テンゾウがカカシの方を見ると、もう目を閉じてい

る。

 ほんとうに涼みに来たんだ。少しでも自分を心配し

てくれてると思った僕がバカだった。

 

カカシが気にかけてくれていたと思ったのが結局

違うと分かり、テンゾウは微かな落ち込みを感じなが

ら、微睡む。

 やがてチャイムの音が、テンゾウを眠りから引き上

げた。

「起きないと…昼飯食えなくなる」

 体育は4時間目だった。テンゾウは起き上がるがも

うふらつきはない。熱中症だったが、涼しくしてもら

ったり水分補給したりで、軽く済んだようだ。

 

 ふと隣のカカシを見る。

 目を閉じて、本当に寝息を立てているようだ。

 

少し長めの髪が横になっている今は左右に流れて

いる。色白の額に何かついているような気がして、テ

ンゾウはカカシの眠るベッドのそばにいく。

「あ

 無意識に声をあげた。

 傷痕だったのか…。


 カカシの額には左目眉にかかるくらいの縦に真っ

直ぐな傷痕があった。縫った後の少し引き攣れたよう

な痕。

 社会人にしては少し長めの髪、かきあげるくせはい

つも右手。これを隠していたのかなと思う。

 薄く、きっと数年前の傷でそばに寄らないと分から

ない程度だが、本人は気になるのかもしれない。

 男なんだから傷の一つや二つあってもおかしくな

いのに、とテンゾウは思う。
 自分も小学校の時階段を走って転げ落ち、腕を骨折

した事がある。その時の縫い後はやっぱり残ってる。

 カカシの顔を至近距離で見ると、顔のパーツ一つ一

つが整っているとわかる。長いまつげ、色白の肌、薄

桃色の唇。
 上掛けをかぶって喉仏が隠れている今は、女性が寝

てると言われたら信じてしまう。

こんな綺麗な顔過ぎて傷一つが気になるんだろう。

 この人とキス…。

 再び忘れようと努力している事を思いだし、テンゾ

ウは慌てて、そこから離れシズネ先生の元に行った。

「すいません、もう戻ります」

「大丈夫?」

「はい、お腹へったし」

「食欲あるなら大丈夫ね」

 

「あの…」

 

「何?」

 

「カカシ先生ってよく保健室に来られるんですよね」

 

 どの程度さぼっているのかちょっと聞いてやろう

と思う。

 

「初めてよ」

 

「え…そうなんですか?」

 

「どうして?」

 

「あ、いえ、別に」

 

 カカシはよく涼みに来てるみたいな事を言ってい

たのに、実際は違うのかと思いながら、テンゾウは礼

を言って教室に戻った。

 

 

 

「おーもういいのか?」

 

 サイが聞く。

 

「うん、ありがとな」

 

「カカシ先生に会っただろ?」

 

「来たけど、なんで知ってる?」

 

「僕が教えたんだよ。体育館に戻る途中呼び止められ

て。まあ、授業中歩いている生徒見たらそりゃ声かけ

るよな」

 

「うん、それで?」

 

「お前が倒れたこと教えたら様子見てくるって、小走

りになってたぞ。やっぱあの先生、生徒想いのいい先

生だな」

 

 いつものように良い先生の仮面を被っているわけ

じゃない。だってカカシ先生は実際に自分のところに

来たのだから。

 しかもサイに聞いたとは言わなかった。涼みに来た

だけと。

 

 もしかして本当は自分の事を心配してくれていた

のかも…。

 

 ほんの少し、いやかなり浮ついた気分になるのを、

テンゾウは自覚した。

 

 

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