赦しの船、風のオール
第8章
「男二人眠れるベッドなんかないよ」
「真夏だし、それこそ男だし、床にごろ寝で充分です」
「でも生徒だからなぁ…。あ、じゃあタクシー呼んで
やるよ。金は俺が出す。不知火先生から離れる事が出
来た礼もあるし」
「礼はキスじゃないんですか?」
テンゾウの突っ込みにカカシが苦笑いする。
「あれはお前をからかったんだ。真面目過ぎるから、
そういう真面目な奴が思いもしない方法がいいと思
ってさ」
分かりきっていた答えだったが、カカシから『から
かっただけ』とはっきり言われると、少なからずショ
ックを受けている自分を自覚する。
カカシにとってたかが冗談に、自分は数か月振り回
されている。
ただ、今はどうしてもカカシの部屋に入りたかった。
不知火先生が入ったカカシの部屋に。
「タクシーなんてわざわざもったいないですよ。新人
教師なんて安月給でしょ。明日の朝にはここから駅に
行きます。一晩床のスペースを貸してくれれば」
「さらっと失礼だよな、お前。それにやっぱり生徒を
泊めるのは…」
「歯ブラシとパンツ買ってきます」
「あ、おい…」
カカシの答えを聞かずにテンゾウは目の前のコン
ビニに入り、歯ブラシと下着を買ってドアまで戻る。
「真面目な奴と思ってたのに、外泊なんて不良だよ」
「親に電話するけど、話し合わせて下さいね」
テンゾウはカカシの言葉に乗らず自分のペースで
話しをすすめていく。不知火が入ったカカシの部屋に、
自分もどうしても入りたかったから。
親には自転車がパンクした時にちょうど副担任の
カカシ先生が通りかかって、泊めてもらうことになっ
たと伝えた。カカシにも電話に出てもらい、納得して
もらう。
「ワンルームだからな、狭いよ」
「ほんとですね」
カカシが苦笑する。
「何?今までの仕返し?さっきから失礼発言連発」
「僕は…」
聞きたいのは不知火先生と付き合っているのかと
いう事。
「ここに不知火先生も来たんですか?」
「シャワー浴びるだろ。パンツ買ってたし。タオルは
貸してやる」
また誤魔化したと思う。カカシはいつも嘘ならペラ
ペラと話すのに、真実は隠す。
しかしこのまま詰め寄っても言いそうにないと思
い直し、素直にシャワーを借りた。
カカシがTシャツも貸してくれたのでそれを着る。
そのまま洗面所で歯磨きをして、そこにはカカシの
分しか歯ブラシがないことを確認する。
安堵の気持ちと、そんなことで安堵する自分に戸惑
う。
「冷蔵庫の中のペットボトルは適当に飲んでいい」
そう言ってカカシは入れ替わりにシャワーを浴び
に行った。
あらためて部屋を見渡す。
シングルベッド、ローテーブル、テレビとオーディ
オが入ったラック、ベッドサイドに三段ボックス。
服類はクローゼットに入っているのだろうが、本当
にごくシンプルな部屋。
女性の影がない。
同性と付き合う人がいることは、もちろん知識とし
て知っている。
やはりカカシはそうなのかもしれない。そしてその
相手が今は不知火先生なのかも…。
カカシはアイドル的に誰かれなく好かれていたが、
不知火は大人の落ち着きが良いという女子に人気だ
った。
つい先ほどのカカシの肩に手を回す不知火の姿を
思い出す。
どちらも恰好よくて、似合っていると言えば似合っ
ている。
不愉快だった。カカシと不知火が付き合ってると考
えるだけで、心に鉛が打ちこまれたように重くなる。
自分も女子には多少モテて、告白されたりバレンタ
インのチョコを学年で一番多くもらったりしてはい
るが、不知火に比べれば所詮子供。
カカシにとっては生徒。ただ、色々とカカシの表向
きとは違う側面に、偶然が重なり触れているけれど。
ベッドは出窓の前にあり、その出窓部分に写真たて
があった。
男の一人暮らしで写真を飾るという習慣がちょっ
と珍しいと思い手を伸ばす。
そこには中学か高校、おそらく中学と思われる体操
服を着たカカシと、女の子、そしてもう一人の男子に
ジャージを着たおそらく教師らしき大人の男が写っ
ていた。
「中学生かなあ…つーかこのころからすでにアイド
ル顔だよな、かっこいいというか、可愛いというか…」
写真の中のカカシはむすっと口を結んでいたが、一
層整った顔立ちが目立っていた。
「俺の事?そりゃどうも」
テンゾウの呟きにいつの間にかシャワーを終えて
後ろに立っていたカカシが答えた。
Tシャツにボクサーパンツ一枚。自分と同じ格好で、
男なのだからそれで十分なのだが、むき出しの足の肌
が白くて体毛も薄く、急に胸がざわつく。
その動揺を悟られまいと、テンゾウは殊更写真に話
題を振る。
「あ、ごめん勝手に触って」
「…まあ、触るなとも言わなかったし」
テンゾウがカカシに写真を返しながら聞いた。
「中学の時の?」
カカシは写真を受け取り、それを眺めながら答える。
「うん、中三の体育祭の時」
「後ろの人は先生?」
「そう、三年の時の担任」
「あとの二人は同級生?」
「同級生で、小さい時からの幼馴染」
「実家ならともかく、一人暮らしの家にまで持ってく
るなんて、よっぽどいい思い出の写真なんだね」
「…」
ふいに無口になるカカシにテンゾウは怪訝な視線
を向ける。
「カカシ先生?」
「もう寝ろよ。ベッド使っていいから」
カカシは出窓に写真を戻しながらテンゾウに言う。
また話を逸らしたとふと気にとめたが、テンゾウに
とって一番聞きたいことは写真の事ではない。
「寝るのはほんと床でいい。このクッションを枕替わ
りに借りるから。それより不知火先生はここに来た
の?」
「なんでそんなに不知火先生にこだわるんだよ」
「さっきのあんな場面見たらそりゃ気になります、二
人とも自分の学校の先生なんだから。実際どういう関
係なんですか?」
「付き合っているのかっていう質問ならNo」
「ほんとに?」
「男同士にする質問じゃないだろ」
「自分で言ってたじゃないですか。男にもモテるって。
す、好きなら、そんなこと、性別とか関係ないと思う
し」
妙にドギマギして、カカシに言いながら自分自身に
も言い聞かせているような気になる。
「へー…高校生にしては随分理解あること。お前やっ
ぱり俺に惚れてるんじゃないの?」
カカシはベッドの上に横になり、片肘ついてテンゾ
ウの方を見ている。
上掛けをかけていないのでボクサーパンツ一枚か
ら伸びる白く細い足が強調されて、目のやり場に困る。
その上カカシに惚れているのかと言われて更に動
揺する。
「ぼ、僕は!」
つい夜中なのに大きめの声を出してしまう。自分の
声の大きさに気づいて、テンゾウは慌ててトーンを落
とした。
「僕は、写真を削除してもらう交渉のネタになるんじ
ゃないかと思っただけで」
「写真?」
「大麻って騙されて、喫煙してるみたいに見える僕の
写真。パソコンにメールで送ったって」
「ああ!あれ、本気にしてた?」
カカシが笑いを堪えながら聞く。
「へ…?」
「スマホには撮ったけど、メールで送ったりしてない。
そんな面倒な…からっただけなのに…。あはは…」
カカシがベッドの上で笑う。
いつもの作り笑顔ではなくて、本当におかしくて笑
っているカカシを見て、テンゾウは自分が笑われてい
るにも関わらず、なんだか心が和らいだ。