赦しの船、風のオール
第10章
「面白いな、お前」
「すいませんね、バカで」
カカシの言葉にテンゾウがそう返すと、まだ少し笑
いの余韻を残したままカカシが言う。
「バカとは言ってないだろう。バカみたいに素直だっ
て言ってるんだよ」
「それ、あんまり変わらないじゃないですか…」
テンゾウのため息交じりの言葉にカカシが微笑む。
テンゾウはその柔らかな微笑みについ目を奪われる。
そりゃ男も惚れるよな…。
そう考えて、一瞬胸がひくっと締め付けられたよう
に感じた。
自分はどうしてこんなにカカシ先生の事が気にな
るのだろう。
こうして家まで無理やりに入り込んで。
「もう寝るか」
カカシはそう言ってリモコンで室内灯を全部消し
た。
クッションを枕に、カカシが貸してくれたタオルケ
ットをかけて床にごろんと横になる。
真っ暗な室内はオーディオのデジタル表示だけが
唯一の明かり。
テンゾウも電気はすべて消す派なので暗さはちょ
うどいいのだが、カカシの家に来ていると思うとどう
にも落ち着かず、中々寝付けなかった。
うつらうつらとしてはまたふっと目を覚ましたり
していた時、目は閉じていたがふと眩しさを感じた。
カカシの眠るベッドの方を見ると、月の角度がちょ
うど出窓の位置に移動し、月明かりが差し込んでいる。
カカシも目を覚ましたのだろう、起き上がり中途半
端に開いたままだったカーテンを掴む。そのままカー
テンを閉めるのかと思ったが、カカシは出窓部分にお
いた中学時代の写真盾を手に取った。差し込む月明り
でその写真を眺めている。
やがて両膝を立て、腕を膝の上で交差させて置き、
写真盾を握ったまま顔を埋めた。
まるで幼い子が膝を抱えて泣くように。
嘘…泣いてる…?
テンゾウは動けずに、ただ視線だけをカカシに向け
る。
射し込む月明かりのシルエットの中、暫くカカシは
そのままの姿勢だったが、声は一切出さなかった。
ただ静かに膝を抱えている。
どれ程の時間だったのか、おそらく数分だったのだ
ろうが、カカシはやがて写真盾を戻した。
そしてベッドから起き出したので、テンゾウはぎゅ
っと目を閉じ眠っているふりをする。
カカシはテンゾウの横を通り洗面所に入った。ぱし
ゃぱしゃと小さな水音がして、カカシが顔を洗ってい
るのだとわかる。
起きる時間ではない。
やっぱり泣いていたのか…?
どうして…。
やがてカカシがベッドに戻り横になったのが、気配
で分かった。
テンゾウはおそるおそる目をあけ、カカシの方を見
る。出窓のカーテンはカカシが閉めて、部屋は再び闇
に包まれているので、よくは分からない。
自分はどうして高校生なのだろう。
テンゾウはふと思う。
涙の理由が分からなくても、気の利いた事でも言え
ればいいのに。
テンゾウはやるせない気持ちになる。しかしどうし
て泣いていたのか…?
頭の中はくるくると堂々巡りの思考を繰返し、やが
て睡魔に引きずられた。
「おい、起きろよ」
遠くの声が近づく。
「起きろって」
ぺちっと頬を軽く叩かれてテンゾウは目を覚ます。
「うわっ」
カカシの顔が目の前に有り思わず声を発した。
「失礼な奴だな。人の顔見て」
「いや、びっくりして…」
「昨日はアイドル顔とか言ってたのに、化け物見たみ
たいに驚くなよ」
「アイドル顔が目の前にあったからびっくりしたん
ですよ」
「おお、お世辞覚えたか高校生。褒美に朝飯やるよ。
食え」
ローテーブルの上にコンビニの袋に入ったサンド
イッチとカフェオーレのペットボトルがある。
「お前は夏休みでも真面目な教師の俺は仕事がある
んだよ。さっさと食って出てくれ」
朝のカカシは、いつものカカシだった。テンゾウの
前だけで見せる、決して真面目な教師ではない口調の
カカシ。
「先生って夏休み無いの?」
疑問に思ったことを口にする。
「お前らみたいに40日もない。夏期休暇は5日。今
日行ったら、一応明日から土日と夏期休暇を足して1
週間だけ休み」
「へー夏休みも仕事なんだ」
知らなかったので普通に驚いた。
「先生はやっと明日から休みなのか…あっ!」
喋りながらオーディオラックの上の卓上カレンダ
ーに目を寄せたテンゾウが大声を出す。
「何だよ、急に」
不意の大声にカカシが睨んだ。
「今日10日ですね。僕、誕生日です。8月10日」
「なんだ、そんな事で大声出すな、幼稚園児みたいに」
むすっとした態度でカカシが答える。
「これも何かの縁だから誕生日プレゼント下さい」
「はあ?何で俺が家に泊めた挙げ句朝御飯まで買っ
てきて、その上誕生日プレゼント渡さなきゃいけない
んだ」
「モノじゃなくて携帯番号とラインのID教えて下さ
い」
カカシは一瞬黙り、すぐに言葉を繋げた。
「生徒と個人的やり取りしない。えこひいきと勘繰ら
れる」
「前、チンピラに追いかけられた晩、写真削除するた
めだったけど、あっさり僕にスマホ貸してくれたじゃ
ないですか。その時、僕がラインID見ても良いよう
な口振りだったのに」
「あの時は…もう教師は辞める気だったし」
「え?先生、辞めるの?」
テンゾウは心臓がどくっとする。
「あの時は、だよ」
いやもう…次から次へと驚かされて、混乱する。
「じゃ、今は辞めないんですね」
「今は、ね」
不知火との絡み、今の発言、そして深夜の涙…。泣
き顔を見たわけではないが、おそらく泣いていた。
頭が混乱する、気持ちが振り回される。
一つ言える事は、カカシが教師を辞めたら、繋がり
が無くなってしまうということ。カカシの考えは本当
に掴めないけれど、このまま一学年だけの教師と生徒
の関係で終わってしまうのは、それは…嫌だ。
「先生、えこひいきにならないように、メールで勉強
の質問とかしないから。だから教えてください」
「他の生徒に知れて次から次にライン届いても迷惑
なんだよ」
「そんなことするわけないです」
他の生徒に教えるわけがない。不知火先生と話すの
さえ見ていて不愉快になったのに。
独占したいのに。
そうテンゾウは考えて、そしてそんな自分の気持ち
に戸惑う。
本当に自分はカカシの事をどう思っているのだろ
う。その気持ちの正体が何であれ、知りたいのだ、カ
カシの事なら何でも。
だから狡い手だって使う。
「不知火先生も知ってるんでしょう、カカシ先生の連
絡先。仲良さそうでしたもんね。僕が今日5人の友達
に二人が抱き合ってるのを見たってライン送ったら、
1週間後には学校全体に知れ渡ってますよ。それが嘘
かどうかは関係なく、高校生の情報力は半端ないです
から」
「一宿一飯の礼が脅迫か。素直な奴と思ってたのに、
とんだ性質悪い奴泊めちゃったな」
カカシは苦笑いを浮かべる。
「僕は誕生日プレゼントが欲しいだけ」
「はいはい、分かった」
カカシはそれほど嫌がる風でもなく、スマホを取り
出した。