赦しの船、風のオール

静謐の庭荘

 

 

赦しの船、風のオール

 

 

 

6

 

 

 誤採点を注意した自分をからかって楽しんでいる

だと腹立たしく、テンゾウは何とか言い返したいと思

う。

 

「僕は!」

 

「なあに?」

 

 机に肘をついて、小首を傾げてカカシがテンゾウを

見る。

高校教師にしておくにはもったいないと思えるく

らい、そういう何げない仕草も絵になるのは認める。

確かにね、かっこいいよ、いや、単にかっこいいと

いうより、つい見てしまう魅力…中性的というか…。

 だけど、男の教師に気があるなんて、そんなからか

われ方、冗談じゃない。

 

「僕はカカシ先生でなくても助けてましたよ。知り合

いなら」

 

 

「ふーん…正義感強いこと」

 

 カカシは相変わらず小ばかにした表情で言う。

 

 テンゾウはカカシが外して机の上に無造作に置い

たリストバンドを見て、言い返すネタを思いつく。

 

「それ」

 

 腕に視線を投げかけ、カカシの横に座りながら言葉

を続けた。

 

「縛られる趣味といい勝負のやばい噂になってまし

た」

 

「何?」

 

 カカシは見せかけの笑顔を作ったまま聞き返す。

 

「女子の間でリスカの痕じゃないかって。いつも笑っ

ているけど本当は悩み深き王子様なんだということ

になってましたよ。リストバンド一つでそこまでの想

像力もすごいけど、笑っちゃいますね。ほんとのあな

たは、人を悩ませることが楽しい人なのに」

 

 カカシはふと無表情になり、テンゾウから視線をず

らした。

 

「自分で傷つけるなんてしない。…一緒にいけてたら

楽だったろうとは思うけど」

 

 意識がここにないかのように、テンゾウから視線を

外したまま、ぽつりと呟いた。

 

「え?」

 

 DVDの音を消して静かになっていたのでカカシの

呟きは聞こえたが、その意味が分からずテンゾウは疑

問符を口にする。

 

 カカシがふっと意識を取り戻したかのようにテン

ゾウの方を見つめなおす。

 

「ああ、それいいね。悩める王子様キャラ。来年はそ

うしようか」

 

 自分が思わず呟いたことには触れず、カカシは再び

いたずらっぽい微笑を浮かべる。

 

「毎年キャラ変えるつもりですか?」

 

「そのほうが楽しいかと思って」

 

「もう少し、教師職についてのモラルってものはない

んですか?」

 

「難しいこと言うなあ。さすが優等生」

 

「カカシ先生は何を思って教師になったんですか?」

 

 昨日、チンピラから助けた以降、嘘ばかり並べるカ

カシに対しずっと思っていた疑問を口にする。

 

「さあね。なりたかったのは俺じゃない」

 

「俺じゃない?」

 

 テンゾウの問いにカカシはほんの少し無言になっ

た。

 

 時折、何かの言葉をきっかけにカカシが素の表情を

見せることにテンゾウは気づく。

 それは本当に瞬間という程に僅かな時間。この先生

には、自分が思っているのとは違う側面があるのかも

しれない、とテンゾウはふと思う。

 

「…いいよ、俺のことはもう。お前の用事は自分の答

案用紙だろう。それは職員室にある」

 

「えっ?じゃあどうして視聴覚室まで来させたんで

すか?」

 

「お前が勝手にここまで来たんだよ」

 

「だって、先生が放課後に取りに来いって言ったんで

しょう。そりゃ誰かに聞いてでも来ますよ。それなの

にやっぱり職員室にあるとか、なんですかそれ」

 

 散々コケにされてきたから言葉も強くなる。

 

「それはね。単に俺に説教かましたお前への嫌がらせ」

 

 カカシがにっこりと魅力的な笑顔で答える。

 

「はあ…そうですか…やっぱりね」

 

 分かってはいたが、はっきりと口に出して言われ全

身脱力する。

前言撤回だよ、この先生、深く考えてることなんて

ないただの不真面目な奴なんだ、きっと。

 

 

 

 それからカカシと一緒に職員室まで戻り答案用紙

を受け取る。

 合計点は91点に変わっていた。

 

「ごめんね、今度から気を付けるよ」

 

 カカシは申し訳なさそうな声を出し、テンゾウに謝

罪する。

職員室には他の先生も大勢いる。

カカシの言葉は誤採点を注意した自分への嫌味と

テンゾウには分かるが、周囲には爽やかに自分の非を

認める新人教師にしか映らないんだろうと思う。

 

 喫煙風の写真を押さえられているテンゾウは、もう

カカシ先生には極力近づかないでおこうと内心誓っ

た。

 

 

 

 

 日ごとに日中の最高気温が前日を上回る様になり、

季節は夏を迎えていた。

 

 受験生にとっては夏は勝負の時。テンゾウがいるレ

ベルの高い特進クラスは、さすがに段々と雰囲気も変

わってきている。

 テンゾウもそれなりに受験勉強に時間を割く生活

スタイルにシフトしていた。

 

 

 夏の体育は基本水泳だが、ちょうどその日、テンゾ

ウ達の体育の時間に雷が鳴り、大粒の雨が降り出した。

 夏によくある夕立だが、すぐに止むとは限らない。

体育の並足教師はちょうど体育館が空いていたから

と、室内体育に変更した。

 

 予定外だったこともあり、体育館で出来るスポーツ

でわざわざネットを立てたり、器具を出したりしない

で済むという理由で、バスケをすることになる。

 

 バスケのゴールネットはどこの体育館でも初めか

ら備え付けられている。後はボール一つあればいい。

 

 テンゾウはバスケ部だ。久々に体育で得意のバスケ

をすることになり、テンションが上がった。

 3点シュートを次々決め、バスケ部としての面目を

充分に果たしてメンバー交代したが、コート外に出た

途端目の前が真っ黒になる。

 

「おい、大丈夫か?」

 

 くらっとしてしゃがみこんだテンゾウをサイが覗

き込む。

 

「いや…ちょっと無理かも…」

 

 身体が異常に熱く感じる。

 

「先生!大和が…」

 

「水分とった?」

 

「熱中症じゃないか?」

 

 周囲が騒がしくなり、テンゾウはぼうっとした意識

でも、カッコ悪いなと思う。

 何とか気を張り、体育教師に自ら声をかける。

 

「先生…ちょっと保健室で休んできます」

 

「大丈夫か?」

 

「はい、休めば大丈夫…」

 

 少ししゃがんでいたので、目の前が真っ暗になる感

覚は収まっていた。

 立ち上がるとやっぱりふらつきはするが、何とか歩

ける。

 

 サイが医務室までついて来てくれた。

 

 

 

 養護教員のシズネ先生はサイから体育館でのバス

ケと聞いて、雨が降って余計に湿気が多い中で激しく

動いて熱中症になったのだろうと、とにかく冷やすこ

とを指示した。

 

「何かスポーツドリンクでも買ってきましょうか?」

 

 サイが聞く。

 

「ありがとう、でもあなたは授業に戻りなさい。先生

が買ってくるから。他の皆も水分補給する様に私が言

っていたと並足先生に伝えてね」

 

 

 保健室のベッドに横になり、部屋の冷房を少し強め

にしてアイスノンを頭の下に敷き、額や、首筋に当て

る様にと保冷剤をいくつか渡してくれたシズネ先生

に礼を言いながら、テンゾウは倒れた原因は温度だけ

でなく自分にもあると思う。

 

 期末試験に向けて睡眠時間を減らしていた。

 

 やっぱり無理してたよな…。

 

 ほんとかっこ悪いとか思いながら、スポーツドリン

クを購買で買ってくるというシズネ先生の言葉に頷

く。

 

 

 

 目を閉じ、涼しい室内で頭も冷やしてもらい、カッ

カしていた体温も徐々に下がってきた。

そもそも睡眠不足だったこともあり、うとうとしか

けた頃、シズネ先生ではない男の声が遠くで聞こえる。

 

 え?今の声…?

うとうとしかけた意識が現実に引き戻されていく。

 

「おい、起きろよ。これ飲め」

 

 カカシがベッドサイドに立っていた。

 

 

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