赦しの船、風のオール

静謐の庭荘

 

 

赦しの船、風のオール

 

 

 

4

 

「教師だからって…」

 

 テンゾウの教師なのだからその言葉を信じるとい

う発言に、カカシが反論する。

 

「教師だって万能じゃない。勝手に信用するなよ」

 

「万能なんて思ってませんよ。でも、生徒に向かって

信用するなっていうのも乱暴な言いぐさと思うけど。

カカシ先生はそんな考え方してて、どうして教師にな

ったんですか?それに、仕事に理想を持っていないと

しても、今日は初遠足でしょう。ふつう、それまでさ

ぼりますか?」

 

 

「…行こうと思った」

 

「え?」

 

 カカシが何かを呟いた。夜になっても眠らない都心

では、時折パチンコ店のドアが開くたび騒音に近い音

が聞こえる。

声が聞き取りずらくてテンゾウは二人の間の距離

を少し縮めた。

 

「行こうと思って学校の近くまで行ったけど、ずらっ

と並んだバスを見て駄目になった」

 

「バスが駄目って…どういう事ですか?」

 

「事故に合ったんだ、昔。遠足のバスに大型のトレー

ラーが突っ込んできて…近くに座ってた同級生と担

任が亡くなって」

 

「えっ…?」

 

 想像もしていない言葉にテンゾウは絶句する。

 

「それからバスが駄目で…」

 

「乗れなくなったんですか?」

 

「うん…」

 

 カカシが下を向く。

 

まさか泣いてる?テンゾウはどうしていいのかわ

からない。こんな時なんと言葉をかければいいのか、

3の自分が聞くには重い告白。

 

 俯くと、長身でも身体の線が細いカカシはひどく

弱々しげに見えた。

 

「先生…」

 

 テンゾウがどうしていいか分からないまま、その肩

に手を伸ばした時、カカシが声を上げて笑う。

 

「あはは…。お前ほんと素直だよね」

 

「へ?」

 

「あはは…。まさか、マリファナの話の後にそんなに

あっさり信じるとは思わなかった」

 

「い、今の話も嘘なんですか!?」

 

 怒り、脱力そして再び怒り。テンゾウは大声でカカ

シに詰め寄る。

 

「俺は教師としてお前の将来が心配になるな。そんな

素直な奴が悪徳詐欺商法に引っかかったり、カルト宗

教に勧誘されたりするんだよ」

 

 カカシは笑いながらテンゾウに言う。

 

 

「よくもそんな悪質な嘘をつけますね」

 

「マリファナとか事故とか、信じる方がどうかと思う

よ。非現実的だろ」

 

「だから、それは先生が…」

 

「教師の言葉だから?夢見過ぎ」

 

 カカシに言おうとしたことを否定され、テンゾウは

つくづく呆れた。

 

ほんとにこの人はなんで教師になったんだ。安定し

た職が欲しいだけなら、他の仕事もあったろうに。

 

 

 カカシがくすくす笑いながら言葉を続ける。

 

「お前の場合、将来っていうより今の帰りが心配だよ。

繁華街で客引きに捉まってボったくられる典型的な

タイプ。あ?そういえばなんで、遠足の日のこんな時

間に、お前はここにいるんだ?」

 

「そこ、気づくの遅すぎ」

 

「テストの1点、2点に拘る優等生かと思ってたけど、

意外に悪とか?」

 

「あなたとは違う。遠足の打ち上げをこの近くでして、

ついでに参考書買おうと思って」

 

「参考書ねえ…。ま、いいや。そろそろ帰れ。ほんと

に客引きには気をつけろよ」

 

 カカシが小ばかにしたような薄笑いを浮かべて手

をひらひらさせて去って行こうとした時、さすがに言

われっぱなしで腹立たしくて我慢が出来ないとテン

ゾウは思う。

 日頃、人にあまり悪意を感じないのだが、この教師

には言い返してやりたい。

 

「ちょっと先生。お礼されてないけど?」

 

 カカシが振り返る。

 

「お礼?」

 

「チンピラから助けたんだから、その対価は貰わない

と」

 

 テンゾウは、カカシが送信したというPCメールの

ことは仕方ないにしても、自分が喫煙している様に見

える画像のスマホに保存されているぶんだけでも、自

身の手で削除したかった。

 

 

「お礼ねえ…」

 

 カカシは、やはり薄笑いを浮かべながらテンゾウの

方に近づく。

 

「確かに、助けてもらったんだから礼はしないとな」

 カカシは素直に頷く。

別に頼んでないとかひねくれた事を言いそうだっ

たので意外に思うが、ここは一気に畳み掛けてやる。

「スマホ出して」

 そうテンゾウが言うと、それも素直に出す。

 

引ったくって保存画像をタップする。テンゾウの喫

煙にみえる画像は直ぐに出た。というか、テンゾウの

画像しか入ってなかった。削除すると、このフォルダ

は空となる。

 彼女とツーショットとか、保存してないんだなとふ

と思う。モテることは間違いないから、単純に一人に

決められないだけかもしれないけど。

「画像削除だけ?」

 テンゾウがスマホを返すとカカシが問う。

「ラインのコードでも撮るのかと思った」

「ライン?何で?」

 

「しつこく絡むから、俺に気があるのかと」

「へ…?」

「俺、モテるんだよね。女にも男にも」

 テンゾウはもう言い返す気力もない。
 自分がモテるとこんなにあっさり口にする人って

いるんだ。しかも、同性って…。確かに誰にでもモテ

そうだから否定はできないけど。

今日一日、いやこの数分間で、今まで生きてきて聞

いたことのない言葉を聞きまくっている。


「ま、礼はしておく」

 そう言って、カカシは両手を前に伸ばしたかと思う

とテンゾウの頬を挟み、形の整ったその唇をテンゾウ

の唇に合わせた。

「!?」

 

僕は今…なにされている…?

 

カカシが更に角度を変えて、何度もテンゾウの唇を

覆う仕草を行ったところでようやく正気に返る。
 テンゾウが押し返そうとするより一瞬早く、カカシ

は身体を反転させた。

「じゃあな。キャッチに掛からず真っ直ぐ帰れよ」

 カカシは学校で見せる、アイドル&モデルの笑顔を

残して直ぐに歩き出した。


 テンゾウはその場から動けない。

 な、何するんだあの教師…。

「信じられない…」

 去って行くカカシの背中を見ながら、テンゾウはた

だ茫然としていた。


3章へ   5章へ