いつかケルンで
(十一)
僕は自身の愛液と、僕の愛液にまみれた彼の身体を、湯で
絞った手ぬぐいで清めた。恥ずかしそうに、けれど彼はじっ
と僕のされるがままになっていた。
「大丈夫ですか・・・?」
「うん。」
初めての行為は決して彼に、快感ばかりを与えたのではな
い事は、充分判っていた。しかし、僕は彼を抱く事を止める
事は出来なかった。
出会ってから、三年。僕の想いは抑えがたい所まで来てい
た。そして、彼も僕に好意を持ってくれていることを、心の
どこかで確信していた。やはり間違いではなかった。
抱いてなお、感情が溢れる。
僕は彼が好きだ。愛している。
この行為が、この想いが、許されるものではないとしても。
その夜、僕は彼と同じベッドで満ち足りた気分で眠った。
翌日からの日々は、すばらしいものだった。
僕達は、使用人が帰ると毎晩慈しみあった。彼の身体を考
え、繋がる事は控えたが、互いに口で解放しあい、一つベッ
ドで眠った。
夏も終わりに近づき、いよいよ別荘引き上げの前日、彼が
俯きながら、でもはっきりと僕に言った。
「テンゾウ・・・俺、もう大丈夫だから。」
僕はその夜、再び彼を貫いた。二度目とはいえ、まだ慣れ
ぬ行為に彼は涙を流しながら、僕を受け入れてくれる。
「あああ・・・はああ・・・。」
麻薬ような、僕を陶酔の世界に運び入れる彼の喘ぎを聞き
ながら、僕は彼の中を行き来する。シーツを握り締め、僕の
行為に耐える彼表情、姿態、いずれも雄としての本能をかき
たてられる。愛しさと、守りたいという想いに心がいっぱい
になりながら、彼を抱きしめ、一生離さないと心に誓う。
そうして、僕達の夏は終わった。
東京に戻り、学業の日々が始まった。彼と毎日は会えない
が、週末になると僕は彼の家に行った。
畑カカシ侯爵の後見人である彼の叔母様には、侯爵の友人
としては名もなき町医者の息子という事が、どうも気に入ら
ないらしく、相変わらず歓迎されなかったが、そんな事で彼
に会いたい気持ちを抑える事など出来なかった。
彼の家は広大で、彼の部屋もある。人目を忍ぶ関係の僕達
は、叔母様に歓迎されなくても彼の家で会うしかなかったの
だ。
そして僕達は彼の部屋で接吻をし、時には僕が彼にプレゼ
ントしたドイツの町の風景画集を眺めてかの地に思いを馳せ
た。彼はゲーテをはじめとするドイツ文学に憧れており、僕
は世界最高水準のドイツ医学に憧れていた。
ドイツ語を教えてくれたルドルフのその後も気にかかって
いた。この風景画にあるような、町の全てが絵になるといわ
れているかの地での戦争など早く終わればいい、僕達は心か
ら願った。
夜は僕が泊まり抱き合った。その時彼は自ら手ぬぐいを口
に当て、声が出ぬように縛ってくれと僕に言う。使用人や、
何より叔母様に聞かれては困るからと。
猿轡をして僕の行為を受け入れる彼の姿は、壮絶な妖艶さ
秘め僕を翻弄し、僕は我を忘れて彼を抱きしめた。
そして月日は流れる。週末は彼の家に、そして夏は彼の軽
井沢の別荘に行き、僕達は変わらぬ関係を続けて、彼は大学4
年に、僕は3年の夏になった。
その夏もいつもと同じように、僕達は彼の軽井沢の別荘に
向かった。
そして、その夜。
僕は彼をいつものように抱き、事後まどろむ彼に一枚の紙
を見せた。
「・・・何?」
彼は紙を受け取り、怪訝な顔を浮かべながらそれを読む。
「伯林大学医学部留学決定の知らせ・・・え?何?これ?」
その前年、欧羅巴を巻き込んだ戦争は終わりを告げており、
一次中断していた国費による独逸留学生の制度が復活してい
たのだ。欧州に比べやはり遅れている医学の発展を目指し、
国費による伯林大学の医学部留学生募集の記事を大学構内で
見つけた僕は、早速応募した。
筆記による一次試験、面接、さらには三次試験に当たる身
体検査などを経て、各大学からたくさんの応募があった今回
留学生枠三人のうちの一人に、僕は選ばれたのだ。
僕は彼には内緒にしていた。確実に合格してから彼に告げ
るつもりだったのだ。そう、僕の心からの想いとともに。
「ドイツへの留学生に選ばれたって事?・・・。」
「ええ。そうです。国費でドイツ医学を学べるんです。」
「どれ位行くの?」
「予定は三年です。」
「三年・・・・。」
彼の顔が見る見る曇った。
「お祝いをしなくちゃならないよな・・・。憧れてたドイツ
医学を学べるんだから・・・。」
僕は今にも泣き出さんばかりの彼を抱きしめた。
「カカシ先輩・・・。留学生募集の記事を見た時から決めて
ました。僕は何があっても合格してみせるって。そして合格
したら、あなたに言うつもりでした。僕と一緒にドイツへ行
ってくださいって。」
「・・・え?」
「僕は国費留学生として行くので、厳密には先輩と全く同じ
って言うわけにもいかないですが、僕の滞在する寮の近くの
アパートを借りて暮らして欲しいです。
伯林大学には、聴講生の制度もあるそうです。聴講生とし
て僕と一緒に大学に通って、先輩の尊敬するゲーテの研究を
行いませんか?残念ながら、僕には国費で行くしかドイツに
行く術はありませんが、先輩なら、経済的に個人的な渡航が
可能だと思うので。」
先輩の始めの泣きそうな顔から、段々赤みが増し、輝くよ
うな表情へと変化するのを、僕は眩しく思いながら、一気に
まくし立てた。そうしないと照れて言えなくなる。
これは、僕なりの彼への交際申し込みだったのだ。本当な
ら、彼の留学費用も用意してかっこよくついて来て欲しいと
いたかったが、現実にそれは困難だった。ただ、ドイツ医学
を学んだ後は日本の国立大学病院への就職が義務付けられて
いる。
医者としてひとり立ちすれば、彼と対等とは言えないにし
ても、何とか彼に恥をかかせない様な暮らしが出来るだろう、
僕はそんなことまで考えていた。
それ程真剣に彼を想っていた。彼の答が気にかかる。
「あらためて、一緒にドイツへ来て下さい。」
僕は彼を見つめた。
「・・・うん。行く。・・・ほんとに嬉しい。絶対行く。」
彼が素直に頷く。
僕達はその夜、朝まで何度も何度も抱き合った。互いに憧
れたドイツの地での二人の暮らしを夢見て激しく身体を求め
合い、幾度も繋ぎあった。
僕達の想いは、永遠に断ち切られる事はないと信じて疑わ
ずに。