いつかケルンで
(十二)
次の日、彼は東京の本宅にいる執事に電話をかけて、大至
急彼の渡航に必要な査証と、欧州に向かう僕が乗る船のその
同じ船の乗船切符を手配するように命じた。
僕達はさわやかな風が拭きぬける軽井沢の別荘のコテージ
で、もう何十回、何百回見たかもわからない、僕が彼に大学
進学祝いに渡した、ドイツの風景画集を眺めていた。
彼の別荘の管理人兼、手伝いの夫婦は今は食料調達に麓の
村へ出かけていた。僕達は気兼ねなく、互いに肩を寄せ合っ
て、その画集を見ていた。
「ほんとに行けるんだ。ルドルフにも会いに行こう。彼の家
の住所は、帰国の際に聞いてるから、僕たちから行けばいい。」
「ええ、彼はケルン出身でしたよね。」
「そうだよ。ほら、この絵、Kölner Dom(ケルン大聖堂)を
見て、随分懐かしいって泣いてたよな。」
「そういえば、僕ルドルフからケルン大聖堂の言い伝えを聞
いたんですよ。」
「言い伝え?なにそれ?」
「この大聖堂は、螺旋階段を上って展望台に出られるって、
言ってたでしょう。」
彼はふと遠い視線になって過去の記憶を手繰り寄せるよう
なそんな表情を浮かべる。
「うん、ライン川が流れるケルン市内を一望できるって言っ
ていたな。」
「そのケルン大聖堂の展望台で、夕陽を一緒に眺めた恋人達
は、一生結ばれるんだって、そういう言い伝えがあるんだっ
て彼、ルドルフから聞きました。」
「へー・・・知らなかった。ドイツにはなんとも洒落た言い
伝えがあるんだな。」
彼は感心した表情を浮かべていたが、そのうち僕の顔を覗
き込み、じっと見つめた。
「な、何ですか?」
僕が視線に耐えられず目をそむけると、彼がクスクスと笑
う。
「あはは。ねえ、テンゾウ、お前その話し今作っただろう?
ルドルフとは俺の方が付き合い長かったのに、そんな話し聞
いた事なし。」
僕は仕方なく、白状する。
「やっぱり、バレましたか。」
「アハハハ。なんかおかしい。堅物そうなお前がそんなロマ
ンチックな言い伝えを作るなんて・・・。あはは・・・。」
しばらく笑っていた彼が、ふと真面目な表情になった。軽
井沢の別荘のコテージから広がる景色を彼は見つめた。
風が、白樺の林を抜けていく。
彼の髪もそよそよとそよぐ。
彼は首を上に上げ、青い空を見上げる。
美しく、しなやかに伸びたその両手を広げて、深呼吸をした。
「ああ、気持ちいい。ねえ・・テンゾウ。」
大きく息を吐いて、彼は僕を振り返る。最初に出会ってか
ら、もう六年もの月日が流れているのに、僕はやはり彼の整
った美しい顔に見とれてしまう。
彼が、その表情と同じく柔らかい穏やかな声で話す。
「その言い伝え、いいね。俺達は、この関係を誰かに言う事
も、ましてや結婚式を挙げることも出来ない。だから・・・。
ドイツに行ったら、ケルン大聖堂を訪れよう。そしてその展
望台から、夕陽を一緒に眺めて、そこで一生の愛を誓うんだ。
ねえ、テンゾウ、約束だよ。俺達で、その言い伝えを実現し
よう、ねえテンゾウ。」
「ええ、必ず。」
僕は思い切り彼を抱きしめて、その唇を奪う。柔らかなそ
の舌を、愛しい言葉を紡ぐその唇を僕は心のゆくまで絡めと
る。絶対に離さない、一生。