いつかケルンで
(十四)
『こうして、紙とペンを前にすると、何から書けばいいのか
判らない。随分と心配をかけたと思う。お前の不安と苦悩は
想像に難くない事だったが、今日まで伝える事が出来なかっ
た自分の弱さが、我ながら情けない。
東京に戻り、俺は叔母上にドイツ行きの気持ちを伝えた。
叔母上からは、はたけ侯爵当主としての自覚を持ちなさいと
反対されたが三年だけ自由にさせて欲しいと、俺は真摯に訴
えた。心から言えば、叔母上も判ってくださると信じて。
しかし叔母上は、決して認めてはくださらなかった。俺が、
叔母上の反対があっても行くと強く言い返した時、叔母上は、
破廉恥と言われた。あなたのしていることが、その事がどれ
程破廉恥な事か、判っているのかと。
叔母上は、薄々気づいておられたのだ、俺たちの事を。貴
方達の、別荘での行動も全て耳に入っていると、本当におぞ
ましいと、叔母上は身体を震わされた。
俺は我慢ならなくなったのだ。おぞましい、破廉恥だとい
う言葉に。叔母上に何がわかるのだと、ドイツには行く、こ
の家にはもう戻らない、そんな言葉を大声で叫び、そして二
階の俺の部屋を出た。
叔母上が追いかけてきたが、俺は無視して階段を駆け下り
た。
叔母様上は必死で俺の後を追い、そして階段から転げ落ら
れたのだ。足を骨折し、医者からは、一生歩けないかもしれ
ないと言われた。
テンゾウ、叔母上は身体が弱く、嫁がれる事もなく公家の
流れを引く侯爵家の娘という誇りを胸に、それだけを拠り所
として生きてこられた人だ。
俺の両親亡き後は、後見人として、はたけの家を守ってこ
られた。その叔母上が、わき目も振らず俺の後を追い、怪我
をされ、そして現在、ベッド上での生活を余儀なくされてい
る。
テンゾウ、俺はそんな叔母上を置いてドイツに行くことは
出来ない。
ベッドの上で泣きながら、はたけの家の事を考えてと、私
は歩く事を奪われた、せめて安心して療養したいと、懇願さ
れる叔母上に俺は頷くだけだった。そうして、今は婚約の準
備を進めている。
この事実を伝える事が辛くてならず、今日まで連絡を先延
ばしにしてしまった。
テンゾウ、許してほしいとは言わない。どうか、俺を恨み、
憎み、そして忘れて欲しい。俺はドイツには行けない。どこ
にいても、お前の幸せを願っている。』
気が付いたら、僕は横浜の港に立っていた。手紙を読んで
から、ここまで移動してきた間の記憶があまりない。欧州行
きの、大型客船が停泊している。僕は今からこれに乗るのだ。
港には、今から僕と同じこの客船に乗る人と、見送る人で
ごった返している。サクラが見送りに来てくれている。港で
話しかけるサクラに僕は、ちゃんと返事をしている。
今回、一緒に留学する小鉄と出雲とも顔合わせをして、挨
拶を交わす。僕は笑顔を作っている。
自分が自分でないような、もう一人別の自分が喋っている
ようなそんな気がする。僕は何故、一人でここにいるのだろ
う・・・。
乗船時間が近づく。僕はサクラに改めて挨拶をして、船に
乗り込む。小鉄と出雲も、見送りの家族と別れ、乗船する。
そして僕達三人は、船のデッキから再び港にいる見送りの人
に手を振る。
本当に多勢の人が港にあふれている。僕はデッキから、再
びサクラの姿を見つけ、そして手を振る。隣で、小鉄と出雲
も自分の家族に手を振っている。
そして僕は彼の姿を見つけた。
色が白く、すらりと背の高い、決して見間違うはずもない、
つくつものしと寝を重ねた彼を、僕が愛し続けた彼を、ごっ
た返す横浜の港の人ごみの中に、見つけた。