紙風船
第14話
テンゾウに知らせたい、就職の内々定を得て初めに
カカシが思ったのはそれだった。メールを打ち、テン
ゾウに知らせる。
『やりましたね!お祝いしましょう!!先輩の都合の
いい日を教えてください』
テンゾウから簡潔で、それでもしっかりと祝う気持
ちが伝わる返信が来る。今メールを打つ余裕がある状
況なのだという事が判ったので、今度は音声発信する。
「もしもし先輩?」
「うん」
「おめでとうございます」
「まあ、まだ内々定だけど」
「それでも、狙っていたメーカーなんでしょう?さっ
きのメールにも書いたけど、祝いしましょう。いつな
らいいですか?」
「内々定なのに気、早くない?」
カカシの言葉の後、電話の向こうでテンゾウは少し
沈黙する。
「テンゾウ?」
カカシが呼びかける。
小さく息を吐いてから、テンゾウは言葉を紡いだ。
「祝いというのは先輩に会う口実でもあるので。ここ
最近は忙しそうで、僕から誘うのは遠慮してたけど今
日は解禁ということで」
「ああ・・・。うん、そうか」
カカシはテンゾウの言葉に小さく笑い、週末に会う
約束をして電話を切る。
携帯から聞こえたテンゾウの声、確かに聞くのは久
しぶりだった。
就職活動に精を出していた自分に気を使っていたが、
本当は会いたかったというテンゾウの言葉に、朗らか
な気持ちに包まれる。
ポケットに携帯をなおしながら、去年サークルの忘
年会の後に聞いたテンゾウの好きな人の事を思い出す。
その話を聞いて不機嫌になり、そういう心情に陥った
理由について自分なりに考えては見たが、結局どれも
しっくりしなかった。
本腰を入れ出した就職活動の中、さすがにいつもい
つも思い出していたわけではないにしろ、本当はその
事が心のどこかで引っかかりを持っていた事、それを
今あらためて自覚する。
後輩の好きな人の事が何故こんなにも気にかかるの
か、今まで何度も考えた事をあらためて思う。
少なくとも、話題にする事すら避けていた不自然さ
を解消しようと今週末に会う時に、その後どうなった
か聞いてみようとカカシは考えた。
「アルコール飲みます?一応一通りそろえてますけど」
その週の週末、約束通りカカシはテンゾウに就職
内々定祝いとして食事をおごってもらい、その後テン
ゾウのマンションに移動してきた。
後輩に奢ってもらうのは気がひけたが、テンゾウが
予約していた店は高級レストランで、正直なところた
とえば割り勘にしてもカカシには払えそうになかった。
今日の所は割り切ろうと、カカシは素直に礼を言っ
てテンゾウに支払いを任せる。
そしてやはり学生の一人暮らしには不釣り合いな豪
華マンションで、テンゾウに酒をすすめられている。
テンゾウが一通りというのだからカカシが思いつくア
ルコール類はきっと揃っているのだろうと思う。
関東一円を取り仕切るという暴力団組長の養子となっ
ているテンゾウの環境は、20歳の大学生が一般に得られ
ないもので囲まれている。
「酒はいらない。ウーロン茶あったら頼む」
「はい」
テンゾウは冷蔵庫からペットボトルを自分用と2本
とりだしてきてソファに座っているカカシに1本渡
し、自分もカカシの横に少しの間をあけて座った。
「今日は全部払ってもらって悪かったな」
「いえ、前にも言いましたが、どうせ僕の金じゃあり
ません。正直このお金がどういう手段で集められたの
か、それを考えるとやりきれなくなる。だから考えな
いようにしています」
カカシはテンゾウを取り巻く環境についてあらため
て考えた。IQの高いテンゾウに贅沢な生活を与え、
いずれは弁護士となる事を強制し、法の狭間を生き延
びていく必要がある組に貢献させる。
闇社会に根を張る彼らの世界から、テンゾウが一人
離脱する事は難しいだろう。
ああそうかと、カカシはふいに思いつく。
テンゾウが告白できないでいる好きな人とはそうい
うテンゾウの置かれた環境が原因なのかもしれない。
そう、例えば親が警察関係に勤める女性とか・・・。
そうだとしたら、それは確かに辛いことだろう。
カカシがつと無口になり思案顔になったのを見て、
テンゾウはカカシの就職祝いの場面で言う内容ではな
かったなと、いましがたの自分の言葉を反省した。
「あの、すいません。なんか愚痴みたいなこと言っち
ゃって・・・」
「いや、それは別に」
カカシはテンゾウの方を向きなおした。
「あのさ、去年サークルの忘年会の帰りに好きな人が
いるって言ってただろう?」
「は?・・・はあ・・言いましたけど・・・」
話しが突然飛躍したのでテンゾウは戸惑いながら答
える。
「今も好きなのか?」
「そうですね。むしろどんどん好きになって正直自分
でも困ってます」
どんどん好きになるというテンゾウの言葉が、カカ
シの胸にさざ波を起こす。
「でも、相手には言わないんだ」
「言わないというか、言えないというか」
「言えないのは、お前のその後見人に関係してるの
か?ほら、相手の女性の家族が警察関係とか・・・」
「ああ・・・」
テンゾウは、飛躍したと思ったカカシの言葉の繋が
りをようやく理解する。
「確かに・・・僕に好かれたら迷惑だろうなとは思い
ますけど、それ以前の問題というか・・・」
言い澱んだテンゾウを見て、カカシは少し踏み込み
過ぎたかと思う。
「ごめん。ちょっと気になって。ま、お前は可愛がっ
てる後輩だからうまくいって欲しくてさ」
カカシは明るく言いながら、それは本意ではないと
自分の言葉に内心で否定する。
「そう・・・お前がデートで忙しくなれば、それはそ
れでちょっと淋しい気もするけど。俺は今、フリーだ
から取り残され気分」
ほんの少しのおふざけと本音を混ぜて。
淋しいというカカシの言葉にテンゾウは顔をあげ、
カカシを見つめた。初めて逢った時にモデルの様だ
と思った整った顔立ち、笑うと一層人を惹きつける魅
力を放つ。
どうしてだか判らない。でも言いたくなった。カカ
シの淋しいという言葉が押さえていた感情を零れさせ
たのかもしれない。このまま、気持ちを伝えることす
らできないのは、そう、それは淋しい。
「先輩」
「何?」
「好きな人の事、言いたくなりました」
「え?」
テンゾウはカカシの顔を見つめ小さく息を吐き、そ
して一気に言葉を発した。
「僕が好きなのはカカシ先輩、あなたです」