ペット 紙風船

泡沫の庭荘

 

 

紙風船

 

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その週末、テンゾウはあるホテルに向かっていた。

 

『水影建設社長と、君麻呂コーポレーションとの食事

会です。もうテンゾウさんも大学4年。そろそろ今後

の仕事に向けてあちこち顔を売っておいたほうがいい

でしょう。新しいスーツも届けますから、手伝いに頼

んでサイズを測っていてください。今日中に』

 

 1週間前の電話の際、薬師カブトは抑揚のない有無

を言わさぬ口調で、テンゾウにそう告げた。

 

 

 大蛇丸組は表向き暴力団と判らない隠れ会社をいく

つか持っている。会社である以上、暴力団の影を薄め

るため社長職は大蛇丸ではなく、組に所属しない部下

がそれぞれ数名いて、社長と名乗っていた。本日の君

麻呂コーポレーションもそのひとつだが君麻呂を始め、

皆、社長とは名ばかりの傀儡に過ぎす、実質の運営は

やはり大蛇丸と薬師カブトが行っている。

 

今日はその組とは一線を画した、会社としての付き

合いがある企業との顔合わせなのだろう。テンゾウは

いずれ大蛇丸組に利益が得られるように、隠れ会社の

企業顧問弁護士になる予定であり、その顔を売るため

に呼んだということであった。

それにしてもまだ司法試験も受けていない状況で、

気が早いものだと思いながらテンゾウはホテルに着く。

 

 ホテルのロビーでは薬師カブトが待っていた。

 

「まあまあの仕上がりだ」

 

 不躾に見た目のチェックをされ、テンゾウは相変わ

らず嫌味な人間だとカブトを見る。

 

 テンゾウは組の養子であったが、大蛇丸組長とは殆

ど接触がなかった。

元々可愛がるために引き取られたのではない。身の

回りのことはお手伝いに、そして何か実務的な事、例

えば大学進学の費用の手続きなどは、この薬師カブト

が行なっている。しかし、けして本音を見せず狡猾そ

うな男は、どうにも拭いきれない得体の知れない不気

味さを備えており、テンゾウは昔から嫌悪感を抱いて

いた。

 

「個室を用意させたので、2階へ」

 

「判った」

 

 薬師カブトに言われてテンゾウは指示された部屋に

向かう。ドアを開けるとスーツ姿の男ばかりを想像し

ていたのに、秘書とは明らかに違うドレスアップした

女性が座っていた。一瞬部屋を間違えたのかと思った

が、中から声をかけられる。

 

「テンゾウさん?」

 

「あ、はい」

 

「はじめまして」

 

「はあ・・・」

 

 戸惑いドアの方を振り返ると、薬師カブトが慇懃な

態度で軽く会釈をする。

 

「テンゾウさん、水影建設社長のお嬢様、照美様です。

今日この部屋はお二人でお使いください。我々と水影

社長は隣で席を用意していますから」

 

「君がテンゾウ君か。写真よりいい男だ。頭の良さは

折り紙付きらしいな。ま、ちと若すぎるが」

 

 カブトの横に立つ、年配の男が口を開く。

 

「水影建設社長にご挨拶を。」

 

 カブトに促され、テンゾウはその男に向かって頭を

下げた。

 

「今日は私のことはいい。照美をよろしくな。」

 

 そう言って薬師カブト、名ばかりの社長である君麻

呂、そして水影建設社長は隣の部屋へ移動して行く。

 

 二人残され、従業員に飲み物を聞かれ、コースの食

事が運ばれてきた頃にようやくテンゾウは、今日この

席が自分と照美を会わせるための食事会だということ

に気づいた。

 

 

 その後の時間はテンゾウの記憶にない。初対面の女

性に対して失礼のないような態度はとっていたと思う。

ただただ、何も言わずに見合いを行なった薬師カブト

への怒りを抑えることに必死だった。

 

 

 

 

 その日の夜、携帯に薬師カブトの表示が出ると、テ

ンゾウは出来るだけの冷静さを装って電話に出る。

 

「いかがでしたか?照美さんは?」

 

 抑揚のない、嫌味な声が耳に届く。

 

「カブトさん、あれはどういうことだ?見合いだろ?」

 

「まあ、そうです。先方にテンゾウさんの写真を見せ

たら是非に会いたいと乗り気でして。まあ、照美さん

は年上ですけど、ええと、6歳くらい離れてますかね。

でも、まあいいでしょう、顔は綺麗だし」

 

「カブトさん、はっきり言っておく。僕には付き合っ

ている人がいる。その人と別れるつもりはない」

 

「・・・冗談言ってもらったら困るよ、テンゾウさん。」

 

 カブトの抑揚のない声のトーンが変わる。

 

「写真見せたら気に入られましたけどね。そのお嬢さ

んに写真を見せるまでが色々苦労したんですよ。表向

きはともかく、君麻呂コーポレーションが暴力団の身

内ということは水影建設も百も承知なわけで。そこに

娘を積極的にやりたいとは思わないでしょうからねえ。

いくら行かず後家とはいえね。ただ、男好きというこ

とは調べるうちに判ったので、テンゾウさんの写真を

見せる事が出来たら、気に入られるとは思ってました

よ」

 

 テンゾウの心に重い鉛が組み込まれていく。

 

「ふざけるな。弁護士になるし大蛇丸組のために働く。

しかし結婚相手は自分で決める」

 

「・・・ヤクザを舐めてもらったら困るよ、大手ゼネ

コンの水影建設は政界にも通じてる。しかも今回、向

こうが気に入ってくれている。あんたには、水影照美

と結婚してもらう」

 

「出来ない!今言っただろう。付き合ってる人がいる

んだ」

 

「別れればいい」

 

「そんな事、できない」

 

「どうしようもないガキだな。我侭に育ちすぎたね、

テンゾウさん。これは組長の意向だ。変わることはな

い。」

 

「そんな・・・」

 

「難しく考える必要はない。いくらかのまとまった金

でも包めば、喜んで別れてくれますよ。今時の女なん

てね。必要な金額言ってください」

 

「金なんか要らない。僕は別れる気がない」

 

「いいですか、卒業と同時に結婚式を上げる。これは

決まったことだ。ホテルも仮押さえしている。ああ、

そうだ、司法試験必ず通るように。ま、そこはIQの高

いあなたのことだから、大丈夫と思ってますよ。我々

に逆らうと未来はないこと、頭のいいあなたは判って

るはずだから」

 

 電話は一方的に切れた。

 

 

 カカシと別れる・・・?そんな事、できるわけがな

い。ただ、カブトの言うとおりだった。相手は暴力団。

逆らうことは、許されない。

 

大切なものが足元から崩れていく感覚に、テンゾウ

は呆然と立ちすくむ。

 

 

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