紙風船
第23話
テンゾウは駆け出していた。
『はたけカカシさんが転がっていますよ』
『自分がはっきりしないことで彼がどんな目にあって
いるか、その目で見てきてください』
耳に残る薬師カブトの声。どう言う意味だ、と返し
たがそのまま電話は切れた。
エレベーターを待つことももどかしく、非常階段を
駆け下りる。
カカシがくる方角は判っている。その道へ走り出す。
人通りのいない高級住宅街の路地の中、道端に蹲る人
影があった。
「カカシさん!」
叫びながら駆け寄る。
テンゾウは我が目を疑った。唇から血を流し、目が
開かない程に腫れた顔。スーツはボロボロで靴も脱げ
ている。どれほどに殴られたのだろう。テンゾウが近
寄っても起き上がれずに、顔だけを僅かに動かす。
カカシと一緒に歩いていると女性がふと振り返る。
酒を飲むような店では必ずといっていいほど声をかけ
られる。グラスを口に運ぶ何気ない仕草、頬杖ついて
テンゾウの話に耳を傾ける姿、座っているだけで絵に
なる人。子供が自慢のおもちゃを見せびらかすように、
声をかけてくる女性たちにこの人は自分の恋人だよと
言いたい衝動に駆られる。
この美しい人にこの酷い状況をもたらしたのは自分
なのだと、テンゾウの中に薬師カブトへの怒りよりも、
猛烈な後悔が体中を駆け巡る。
カカシの望みは市井の暮らしだった。恋人がいて仕
事を持ち、そんな平凡な毎日が続けばそれでいいと言
っていた。
子供が欲しいと思ったことはないかと、気になって
いたことを意を決して聞いたことがある。お前がいて
くれたらそれでいいと、穏やかに笑った。
暴力団に殴られるような、そんな非日常の中にカカ
シを巻き込むわけにはいかない。
「カカシさん・・・」
テンゾウはその肩を抱き上げる。
「う・・・・」
苦しそうに、それでもカカシはテンゾウの手を借り
て、ようやくそばの壁に凭れるよに座った。
「テンゾウ・・・」
「はい」
「・・・・う・・・婚約って本当か?・・・」
テンゾウは言葉に詰まる。
「婚約しているのか?」
さっきより強い言葉でカカシが問う。
「・・・決められています・・・」
カカシが顔を上げた。
「来年春、結婚式?」
「・・・仮予約されてます・・・僕自身は断ってまし
たが・・・」
「お前は俺に黙ってたんだな・・・」
「断る方法を考えてました・・・でも・・・」
「でも、なんだ?」
「でも、もうそれは無理です。あいつらは手段を選ば
ない。カカシさんをこんな目に合わせるくらいな
ら・・・」
カカシが苦しげに一度息を吐く。
その様子を見て意を決したようにテンゾウはもう一
度言葉を紡いだ。
「カカシさんをこんな目に合わせるくらいなら、あな
たのことを考えたら、別れた方がいい。そのほうがあ
なたのためだ・・・僕はカカシさんを幸せに出来な
い・・・守れない・・・」
カカシがテンゾウの襟元を掴んだ。
「幸せにできないだと・・・俺のために別れるだと・・・」
「はい」
「・・・・どこまでお前は傲慢なんだ・・・。今まで
なんの相談もせず・・・俺はお前に守ってもらうつも
りはない・・・。俺たちはそんな上下の関係じゃない・・・。
俺の幸せが何かは俺が考える。俺の人生を決めるのは
俺自身だ・・・。お前の今言ったことは・・・お前の
人生を勝手に決めようとしている組の奴らと一緒だ!」
カカシはありったけの力を振り絞りそこまで叫ぶと、
自身のポケットからさっきの眼鏡が押し込んだ札束を
テンゾウに向かって投げつけた。
テンゾウの額に当たり、紙幣が周囲に散らばる。
そうしてカカシは、意識を失った。