紙風船
第6話
後見人は暴力団の組長だと言ったテンゾウの言
葉を聞き終えるとカカシはうんというように微か
に肯いた。
「テレビを運んできたさっきの二人を見て、そう
かなあとは思ったよ」
広い大学の構内を門に向って歩きながら、テン
ゾウは空を見上げた。晴れやかに青空の広がる初
夏の空気を胸に吸い込む。
学校に通わずとも家の中に閉じこもっていた
わけでもなかった。いやむしろ、ごく一般的な家
庭の子供よりは、あちこち行った方かもしれない。
毎年夏にはハワイで過ごしたりもしていたし。
ただ、そう、例えば学校の運動場みたいな、社
会とは一線を画した子供だけで構成される広い空
間というものには、縁がなかった。
大学のキャンパスもまた、大人社会とは違う自
由さを醸し出している。そんなキャンパスの空気
を吸って、テンゾウは少し勇気をもらう。
「あんまり、いい印象はないですよね」
「あんまりどころか悪い印象しかない」
カカシはあっさりと認める。テンゾウの胸がぎ
ゅっと重くなる。
「でも、別にお前が何か気にする事はないだろう」
下を向いていたテンゾウがカカシを見つめた。
カカシはいつもの穏やかな笑みを浮かべて言う。
「後見人とお前は別の人間だもの」
自分に絵心はないけど、もし似顔絵を描いてこ
の人の肌を塗るなら白の配分が多いだろうな、と
ふとテンゾウは考える。
自分が今まで暮らしてきて、そしてこれからも
暮らしていかなければならない環境には見当たら
ない、そう白のイメージ。
自分の環境なんてカカシには関係ない事だと思
う。しかしテンゾウはここまで知られたら、逆に
今度は全てを話したくなった。鬱々とした気持ち
でカカシの前に立ちたくない。
「少し、話してもいいですか?」
「話なら、どこか店入る?」
テンゾウは小さく首を振った。今から話そうと
する事は大学キャンパスという社会と隔絶された
自由な空気の中の方がいい。
「いえ、歩きながら話したいです。先輩はいいで
すか?」
「いいよ」
テンゾウはもう一度、すっと空気を吸った。
「先輩は僕と後見人は別の人間と言ってくれたん
ですが、その関係は切れないんです」
「切れないって?」
「僕はかなり贅沢な暮しをしているでしょう?」
「うん」
「それは僕がいずれ弁護士になって、組関係の企
業の顧問になるというそういう約束があるからな
んです。将来の拘束の見返りの贅沢な暮し」
カカシは黙って聞いている。テンゾウは続けて
話す。
「僕の両親は組の者だったらしいんですが、抗争
に巻き込まれて死んだそうです。それはまあ、自
業自得というか仕方ないんですが生前よく、息子
である僕のIQが高いようだと幼稚園の先生に言
われて調べたらほんとに高かったと、自慢してた
らしいんですね。それを聞いていた組長が、つま
り僕の後見人なんですが、将来の利用価値がある
と、引き取って育てたという事なんです」
「利用価値?」
カカシが聞き返す。
「ええ、組といっても今の時代は表向き企業の形
態をとる事も多いです。もちろん下の者は先輩の
アルバイト先に脅迫じみた金を取りに行くような
真似もしてますが、それだけでは生き残れない。
企業を経営するうえで、弁護士は欠かせない。だ
から合法ぎりぎりを狙う組関係の顧問弁護士には、
協力を惜しまない身内からなってもらうのが安心
ということでしょう」
「それがお前?」
「ええ、今も顧問弁護士はいますが事業を拡大す
るうえでは需要はいくらでもある。そのために、
IQが高いという僕を弁護士に仕立てるという事
を、思いついたんでしょうね。一応組長に引き取
られたわけですから、彼と一緒に暮らしてました。
僕には雇われた手伝いがついていましたし、日常
顔を合わせるという事も無いんですが、それでも
要所要所、いずれ弁護士になってもらう、しっか
り勉強をするんだというような事は言われていま
した」
ゆっくりと歩を進めながら、テンゾウは話し続
ける。
「物ごころついた時からそういうふうに言われて
いて前にも言いましたが、それ以外の選択肢とい
う事が僕には判らなかったんです。なにしろ学校
にも通っていなくて、勉強はしてましたが、どう
表現したらいいのかな、そう市井の暮らしという
ものに縁が無かった」
ゆっくりと歩いていたが、そろそろ大学の門に
近付いてきた。
カカシは歩を止め立ち止まってテンゾウに聞
く。
「お前が学校に行かなかったのは、英才教育を受
けるため?」
「違います。一応小学校の入学手続きはしたらし
いんですけど、その時に、僕に一日中ボディガー
ドをつける事を認めろって言ったそうで、そりゃ
断りますよね、学校としては。ボディガードとい
ってもいかにもなヤクザなわけだし。そんな事で
揉めて、結局レポート提出が登校とみなすみたい
なまあ、内うちで処理したというか。学校も困っ
た挙句の苦肉の策だと思いますが」
「ああ、そういう事・・・」
カカシは肯いた。
「18にもなれば僕も多少の知恵はついて、弁護士
になるなら大学には行かなければならない、通う
のに便利なマンションに一人暮らしをしたいと要
求して、今は一人暮らししてるんですが、将来は
もう決められています。逆らう事は許されない。
それなりに僕に投資をしているわけだし」
立ち止まったまま、カカシはテンゾウの顔を見
た。
「すいません、変な話し聞かせちゃって」
テンゾウもカカシの顔を見つめ返しながら謝る。
カカシには何の関係もない話、でも言いたくなっ
たのだ、カカシに全てを。
「謝る事はない。聞かせてもらって良く判った、
お前の事」
カカシは穏やかな表情のままテンゾウに言う。
「あのさどんな事でも、自分にとって大切な譲れ
ないものだけそれだけを守れば、後は周囲に合わ
せて生きてもいいんじゃないかな、人は一人では
生きられないんだし。 お前が将来組関係の企業
顧問になったとしても、自分を見失わなければい
いと思うよ、俺はね」
大学キャンパスに初夏の風が吹く。
カカシの言葉を聞き、テンゾウは自分の身体の
中にも、風が吹き抜けて行ったような気がした。